![【#文化庁】同人作家、Vtuberなども対象に文化芸術活動の継続支援補助金やるってよ 「20万円をベースに最大150万円。」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/9058b68f95ee3e4008a727506f25b58f6886e625/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Fc7d4770d72064f6bd93eec82b6f62bf3-1200x630.png)
はじめに教授からのWhy? Why? Why?と立て続けに押し寄せる「どういったロジックを元に〜をデザインしたのか?」という質問の嵐に対して、学生達がBecause, Because, Becauseと素早く理論を構成して「何故なら〜だからです」というロジックを組み立て続ける。 そんな米国大学で展開されるデザイン講義を目の辺りにしてきた僕は、「デザインとはこんなにも理論的なプロセスだったのか」という率直な実感を持っています。 デザインと聞くと生まれ持った才能を存分に発揮してクリエイティブに様々なものを生み出していくというイメージをお持ちの方も多いかも知れませんが、これは全くの誤解であると言えます。 本来、デザインプロセスとは問題解決を前提としているため、地味な作業の連続であり、非常に理論的なプロセスで構成されています。 僕は日本で5年間、米国で3年間デザインの教育を受けましたが、実感として
※書いてから一晩たって、「確かに品がないなー」と思ったのでタイトル変えました 国立新美術館で開催されている写真展、『アンドレアス・グルスキー展』に行って来た。 東京では9月16日までなので、1500円握りしめてなるべく早く訪れるべし。 写真というのはカメラで撮影するものであると思っている人。 写真というのは文字通り真実を写す手段であると思っている人。 写真というのは心打たれた情景を記録するための存在であると思っている人。 写真というのはリアルなこの世の鏡であると思っている人。 写真というのはイメージであると思っている人。 上記はすべて間違いである。 写真は、作れる。しかも、「完璧」な写真を。 グルスキーはそれを提示したアーティストである。 そも、カメラ(=写真機)というものはまことに原始的な機械である。 カメラの前方から降り注ぐ光をガラスの玉で屈折させ、 絞りという乱暴な穴の拡大縮小装置を
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著作権 フランスに於けるMADの取扱いについて少しだけのブックマークコメントでid:zoniaさんからMADが違法なら,たとえばコラージュも違法なのだろうか。http://b.hatena.ne.jp/zonia/20080704#bookmark-9183398という質問を頂いたので、エントリを起こします。 コラージュアートで思い出すのが表題にも書いた「ワラッテイイトモ、」という作品の事です。これについては以前エントリでも紹介した「なんにもないところから芸術がはじまる」の中に解説がある。 K.K、といっても、誰のことなのかわからないひとは多いと思うので、少し立ち入っておこう。K.K.のことを初めて知ったのは、わたし自身が審査員のひとりであった現代芸術の公募展「キリンアートプロジェクト2005」でのことである。そこで、匿名ともイニシャルともユニット名ともつかぬ作家名で応募して来た「K.K.
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