「いじめられる側にも原因がある」は事実だろ いじめの対象は別に無作為に選ばれてるわけじゃなくて、選ばれる原因があって選ばれてる だけど、「いじめられる側に責任はない」も両立する いじめられる原因としては、例えば「性格がうじうじしている」とか「言葉の選び方が下手でコミュニケーションに難がある」とかだよな これらは事実としていじめの原因の一つになりうるわけだ だけど、そういう原因について責任はない 言い換えれば、「いじめられる側にも原因があるが、いじめられる側に非はない」 どうしてこれが腑に落ちないのかが逆にわからない 違う事例で考えてみる 「夜道の交通事故は歩行者にも原因がある」 これはそうだろう 真っ黒な服を着て歩いていれば、反射材まみれで歩いているより交通事故に遭いやすくなるんだから、それは原因の一つだ でも、「歩行者に非がある」とされることはない これと同じことだろう
今までの自分の経験から、気をつけることを書いておきます。不調かな、と思ったら読み返す。 早寝早起きを心がける。 超重要!目が覚めたらカーテンを開けて朝の光を浴びる。可能なら窓を開けたい。 眠くても、二度寝することになっても、とりあえずこれはやる。秋冬になって日照時間が短くなったら特に気をつける。なるべく規則正しい生活にすると、体調もよくなるよ。早起きのほうが大事だから、とりあえず一度は起きる。ギリギリに起きないで、お布団の上でぼーっとできる時間を作る。「おめざ」とか用意しとくといいかも。起きたらとりあえず顔だけ洗う、とりあえず歯だけ磨くとか、ひとつずつする。 そのあとまたベッドに潜ってもいいじゃん。とりあえず動いたことで、後からやる気が出てくることもある。(なんとか物質だっけ?なんかの記事で読んだ)眠れなくても夜は早めに床に入る。(パソコンや携帯やテレビは眠る前は避ける。経験上特にパソコン
優等生のイエス先輩やムハンマド先輩の答案用紙をカンニングするのが「宗教」というやつである。 この学校ではカンニング行為は禁止されていない。 「人生」というテストはとても厄介で、決まった正答が存在しない。 ただ、イエス先輩やムハンマド先輩の回答はスマートなので、正解に近いだろうと思われている。 「私は自力で問題を解いているのに、こいつらは自分の頭で考えずに楽をしている」と考える生徒がいる。 「なんでカンニングしないんだろう、カンニングすれば楽なのに」と考える生徒がいる。 「カンニングが横行すれば学内の秩序が乱れる、カンニングは禁止すべきだ」と考える生徒がいる。 「退学者を出さないためにも、むしろカンニングを推奨すべきだ!」と考える生徒がいる。 「カンニングをしないのもカンニングの一種」と(ry
ある種の感情に訴えかける記事を読んだとき、とりあえず感情の赴くままエントリを書いてみる。しかし、登録ボタンを押す前に少し考える。果たしてこれは僕が本当に普段思っていることなんだろうか。 そんなことはよくあることだ。その場の感情と言うのは正しく自分の考えをトレースしているとは限らない。だから、必ずしも自分の思っていることに沿った感情が表出するとは限らない。こと、議論の場においては。 感情を喚起する記事は、しかしただこちらが勝手に受容する場合であれば、立ち止まって冷静に考えることは可能だ。いわゆる脊髄反射と言うやつは一度自分の文章を読み直し、また元記事のソースに一回当たってみるなどのクッションを置くことでたいていの場合一時の感情に突き動かされた自分と言うやつを発見することになるだろう。 しかし、積極的な悪意を向けられた場合、それに感情以外で対抗するのはなかなか難しい。対抗することそのものではな
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