インターネットで誰もが意見を表明できるようになり、﹁表現の自由﹂という言葉を目にすることが増えた。表現は常にだれかを傷つける可能性を持っているが、一方でその自由は守られなくてはならない。 一体どのような時に﹁表現の自由﹂は制限されることがあるのか︵制限されるべきなのか︶。﹁表現の自由﹂というアイデアの核心に迫りつつ考えたい。 ﹁異論﹂のない社会は存在しない 近年、コンビニに成人誌を置くべきか否かの論争に象徴的に現れるように、メディア上の表現や、書店・コンビニに配置された本が、女性や児童、障がい者にたいして不適切である、配慮がない、弱者を傷つける表現である、との声が上がることが増えた。 筆者はこのこと自体は健全な流れだと思っている。 どんな表現も、誰かを不快にさせているものである。もしも、声が上がらない社会があるとすれば、声をあげたい人々が何かを怖れて沈黙している︽絶対的差別社会︾か、声があ
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