京都と歴史に関するsawarabi0130のブックマーク (2)
-
トンネルを抜けて、東京からの新幹線が京都駅へと減速していく。鴨川を渡ると、車窓から金網に囲まれた空き地と、古い団地が見える。京都は今、観光客であふれ、京都駅周辺はホテル建設ラッシュに沸く。観光地へ急ぐ人たちは通り過ぎてしまうが、京都には部落差別に抵抗した人たちの歴史も刻まれている。部落差別は、地名を明記して地区の現状や未来を語ることさえ、抑圧してきた。再開発の波にさらされ立ち退きが迫る京都駅前のまちで、出身地を隠すことを強いられてきた人たちに、まちへの思いを聞いた。︵京都新聞社・岡本晃明/Yahoo!ニュース 特集編集部︶
-
この357年の歴史に幕を閉じたお店の名は﹁桂飴本家 養老亭﹂ リンク先より抜粋 京都の西、桂の地。嵐山から桂川の清流を下ってきた広々と静かなこの一帯は、平安京が開かれた当時から、景勝地・保養地として王朝貴族に愛されてきた。江戸時代に入り、八条宮智仁親王がこの地に﹁瓜畠のかろき茶や﹂と呼ぶ別業を造営する。のちの桂離宮である。王朝の造園美と簡素な書院造の対比の妙が、ドイツ人建築家ブルーノ・タウトに激賞され、日本建築の粋のひとつとして世界的に知られるようになった。この桂離宮のすぐそばに、﹁かつらあめ﹂と呼ぶ素朴な麦芽糖の飴を作り続けている家がある。﹁桂飴本家 養老亭﹂である。
-
1