近年の公園は社会学的に語りにくい──本稿では、このような問題を考えてみたい。 公園について社会学的に語る場合、﹁公共性﹂という規範的な概念がつきまとう。社会学的な視座からは、公園とは公共性を体現する都市空間の代表であり、逆にいえば、公園が具現化する公共性のあり方をもって、それが埋め込まれている都市空間全体の公共性の物差しとするところがある。その場合、ありうべき理想的な公共空間の姿や条件がまず思い描かれ、その理念的モデルとの落差で、現実の公園が採点され、批判されることになる。 齋藤純一によれば公共性の意味は3つあり、国家に関係する﹁公的なもの︵official︶﹂、すべての人びとに関係する﹁共通のもの︵common︶﹂、誰にたいしても﹁開かれている︵open︶﹂の3つである*1。このうち公園の体現する公共性は第三のそれであり、公園とは、誰でもアクセス可能な施設であることを第一要件とする。ゆえ
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