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やる気の出し方
fujinkoron.jp
大学受験、資格試験、語学、日常学習、ノート術にメモ術、さらにはスケジュール管理…。ネットの記事などでは、日々さまざまな<勉強法><学習法>が紹介されています。しかし、記事をどれだけ読んでも「結果が出ない」「続かない」という人も多いのでは。そんなお悩みに、『自分にあった方法が見つかる! 勉強法図鑑』の著者で現役東大生の西岡壱誠さんがお答えします。 「大学入試が変わるなかでちゃんと大学に行けるか心配」 といった親世代の声を。 そして片や… 「いくら勉強しても結果が出ない!」 「がんばっているのに、なかなかうまくいかない!」 「そもそもやる気になれない!」 そんな受験生の悩みをよく聞きます。 優れた人の勉強法を真似しても、売れている勉強本を買っても続かないし、結果がでない。やっぱり先天的な才能や地頭が足りないのかな…と考えてしまう人も多いのではないでしょうか。 でもそれは、「自分にあった勉強法」
血のつながらないおばあちゃんから莫大な資産を相続した──そんなおとぎ話のような本当の話がある。カスタネットパフォーマーの前田けゑさんの人生は、一見、とてつもなくラッキーなようだが、お金の魔力とは恐ろしいもので……(構成=平林理恵 撮影=本社写真部) 食事会は仕組まれていた!? 8年前、30歳の時に、母方の祖母の友人だった女性から、名古屋市内の不動産15億円ほどを相続しました。 この“名古屋のおばあちゃん”と知り合ったきっかけは、祖母に「紹介したい友達がいるから」と、ご飯に誘われたことです。当時の僕は25歳の売れないミュージシャン。祖母にはしょっちゅうご飯を食べに連れて行ってもらい、その場に祖母の友達が同席することも少なくなかった。 だから、僕には特別なことではなかったのですが、すでに2人の間では話がまとまっていたのでしょう。今思えば、あれは跡継ぎを探している親友に、孫を紹介するための会食だ
編集:このところ、店員さんが常駐していない「無人店舗」を見かける機会が増えました。冷凍食品や古着などはもちろん、最近では「無人書店」もちらほら。今回お話をうかがうトーハンさん・Nebraskaさんが携わっているものとしても、既に23年から「山下書店世田谷店」「メディアライン曙橋店」で、24年3月中旬から「メディアライン大山店」で夜間の無人営業をスタートさせるそうです。 清水:連載通じて「本屋さんがこの先、生き残るための方法」を模索してきたなか、今回、はじめて大きな会社を取材するということで、興味が尽きないわけですが……。僕の認識では、トーハンさんは取次の会社というか、本の流通を手掛ける側のイメージだったけれど、小売りも手掛けているんですね。 大塚:小売りを始めて20年ほどになるでしょうか。ただ、我々が主体的に出店、というのではなく、法人単位で引き受けて運営している形がほとんど。経営が厳しく
「私は作品を通じて視聴者になにかを啓蒙しようと思ったことはありませんが、『光る君へ』では、自分もなんとなくとらわれていた〈平安時代に関する思い込み〉を変えられたら、という気持ちがあります」(撮影:大河内禎) 年が明けてスタートした『光る君へ』。大石静さんが大河ドラマの脚本を手がけるのは、『功名が辻』以来、18年ぶりとなる。わかっていることの少ない紫式部と平安時代をテーマに、大石さんの描く1000年前の物語が幕を開けた(構成=山田真理 撮影=大河内 禎) <前編よりつづく> 平安時代を知るのは面白い 仕事がなかったら、とてもやりきれなかったでしょうね。でも仕事の場には仲間がいる。現場に行って美術さんから「大石さん、新しいセット見てよ!」なんて声がかかると元気が出る。 心身の疲れを癒やす時間もおかずに仕事に戻りましたが、「この仕事を受けていてよかった」と思いました。そうして少しずつ立ち直ってい
年が明けてスタートした『光る君へ』。大石静さんが大河ドラマの脚本を手がけるのは、『功名が辻』以来、18年ぶりとなる。わかっていることの少ない紫式部と平安時代をテーマに、大石さんの描く1000年前の物語が幕を開けた(構成=山田真理 撮影=大河内禎) 本名も不明の人物を題材に 『光る君へ』の放送はまだ始まったばかりですが、この仕事にとりかかってすでに2年半が過ぎました。大河ドラマであってもほかのドラマであっても仕事の厳しさに変わりはないですが、なにしろおよそ50話となると、普通の連続ドラマの5クール分、ぶっ通しで書かなければいけません。 いまは29話目を書き上げたところですけど、最終話を書き上げるまでホッとするときは訪れないでしょうね。 2021年の春ごろにお話をいただき、「紫式部を描く」というテーマを聞いて少し悩みました。平安時代に関する知識は、歴史の授業で学んだ程度。私でもピンとくるような
今年1月1日、経済評論家の山崎元さんが、食道がんで亡くなりました。楽天証券経済研究所客員研究員として、経済に関する情報発信に尽力されていた山崎さん。闘病中に息子さんを含めた若者へ向けて、「お金と人生、幸せについて大事なこと」を書き下ろしました。そのなかで山崎さんは、「かつてと今とで働き方は変わったが、人間は大きく変わっていない」と言っていて――。 キャリアプランニングで意識する「28歳」、「35歳」、「45歳」 かつてと今とで、働き方は変わったが、人間の方は大きくは変わってはいない。 組織人を前提としたキャリアプランニングで意識すべき3つの年齢は今も案外変わっていない。 命令形で箇条書きにすると以下の通りだ。
『沿線格差』という言葉を目にすることが増えましたが、フリーライターの小林拓矢さんいわく、「それぞれの沿線に住む人のライフスタイルの違いは、私鉄各社の経営戦略とも深くかかわっている」のだとか。今回はその小林さんに「東武鉄道沿線の魅力と実情」を紹介していただきました。東武鉄道は、都市圏の通勤・通学を主たる任務とする鉄道として生まれたわけではなかったそうで――。 東武鉄道沿線の魅力と実情は? そもそも東武鉄道は、都市圏の通勤・通学を主たる任務とする鉄道として生まれたわけではなかった。 東京都を中心に、埼玉県・千葉県・栃木県・群馬県に広がる一大ネットワークとして誕生し、蒸気機関車の運行もあった。 現在でも、単線区間が残っているという状況である。群馬県や栃木県では、ローカル輸送に徹しているところもあり、“ミニJR”のようなネットワークの性質を持っている。 そもそも東武鉄道の発足は、1897(明治30
2023年に放映された大河ドラマ『どうする家康』。家康は当時としてはかなりの長寿と言える75歳でこの世を去っています。「家康が一般的な戦国武将のように50歳前後で死んでいたら、日本は大きく変わっていた」と話すのが東京大学史料編纂所・本郷和人先生です。歴史学に“もしも”がないのが常識とは言え「あの時失敗していたら」「失敗していなければ」歴史が大きく変わっていたと思われる事象は多く存在するそう。その意味で「武田信玄のとある失敗」が歴史に与えた影響は絶大だったそうで――。 国へのこだわりに絡め取られた信玄 前回、武田信玄最大の失敗「長男・義信の自死」について触れました。 もうひとつ、これは失敗ということではないのですが、信長と比較して、信玄は「国」という単位にこだわり過ぎた気がします。 信玄は甲斐の隣の信濃を攻略した。これは先に述べたように信濃を攻略することで、甲斐本国の盾にするという意味があっ
2021年に内閣府が高齢者向けに行った調査によると、普段、食生活について気になっていることは「栄養のバランスがとれていない」ことだと答えた人は約2割いたそう。「見た目の若さには、日々の食事が関係している」と話すのは、『老けない最強食』(文春新書)を著したジャーナリストの笹井恵里子さん。その笹井さんいわく、「時間栄養学において最も重要なことは『朝食を摂る』こと」だそうで――。 「時間栄養学」 同じ食事の内容や量であっても、食べる時間帯によって体に悪影響を及ぼすこともあれば、栄養素の吸収率や効果を高め、老化や病気を予防する場合もある。 ここには2017年にノーベル生理学・医学賞の授賞理由にもなった「体内時計」が深く関係する。 「体内時計とは主に一日(24時間)周期、すなわち昼夜に合わせて体温やホルモン分泌など体内環境を変化させる機能の総称です」と、明治大学農学部の中村孝博教授が説明する。 「人
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなど、世界的にも有名な芸術家を数多く生んでいるイタリア。美術館も多く、素敵な街並みに一度は訪れてみたいという方も多いことでしょう。そのようななか、17歳でイタリア・トスカーナ州にあるフィレンツェに留学し、「極貧の画学生時代に食べたピッツァの味が、今でも忘れられない」と語るのは、漫画家・文筆家・画家として活躍するヤマザキマリさん。マリさんいわく「イタリア料理は基本的に庶民の食文化として育まれてきたもの」だそうで――。 私の貧乏メシ 今から25年ほど前に遡るが、フィレンツェで産んだ子供を連れて日本へ戻ってきた直後からしばらく、札幌のローカルテレビ局のワイド番組でイタリア料理のコーナーを担当していたことがある。 当時はまだ漫画だけで生計をたてていくのが難しく、幼い子供を育てることを踏まえると仕事をあれこれ選り好んでいる場合ではなかった。 学生時代のチリ紙交
「ウィーン郊外のマルヒフェルド産のホワイトアスパラガスは春のご馳走です、ゲランドのお塩に胡椒、オリーブオイルとパルミジャーノだけで、思わず笑顔に」(『文はやりたし』(幻冬舎文庫)より) 2018年にドイツ人ヴィオラ奏者のティロ・フェヒナーさんと結婚した女優の中谷美紀さん。現在では一年の半分を日本で、残りをオーストリアで過ごすという二拠点生活を送っています。オーストリアでは庭造りにご近所付き合いなど、ちょっと不便だけれど自由な日々を楽しんでいるという中谷さん、実はこのところの体脂肪の増加に危機感を覚えているそうで――。 メタボの大食い かつては「痩せの大食い」で通っていたものの、このところ体脂肪率が25%を優に超えることも多くなり、「メタボの大食い」と呼ばれる日も決して遠くはないと危機感を覚えている。 もう10年近く前のことではあるけれど、魚介や卵は時おり口にするペスコ・オボベジタリアンを6
“命を救う”という理念のもとで理解を広げてきた慈恵病院(蓮田太二理事*当時、熊本市)の「赤ちゃんポスト」。しかし2020年3月までに預けられた155人のうち、早期新生児は85人にすぎず、残りがある程度育った赤ちゃんだったとされる。取材を続けてきた元熊本日日新聞社記者でジャーナリストの森本修代さんによれば、現場は想定外の事態ばかりで、それこそ初日から驚くような出来事があったそうで――。 開設日に預けられたのは3歳児だった 2007年5月10日。赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」が設置された。 蓮田は新しく整備したポストの前で、数十人の報道陣を前に「緊張しています。命を守ることが一番大切。理解が深まるよう頑張っていきたい」と話した。 それからわずか数時間後、病院職員は驚愕する。最初の子どもが預けられたのだ。 「赤ちゃん」ではなく、3歳児だった。キョトンとしてベッドに座っていた。男児は「新幹
新型コロナウイルスの蔓延で、窮地にたたされた業界は多々ありますが「ゲームセンター」業界も例外ではありません。中小店が苦境に立たされる中、多彩なラインナップと企画力で注目されているのが「ゲーセンミカド」です。同店を開店した池田稔さんいわく「1995年はいま思い返してもゲーセンに熱気がある時代だった」そうで――。 ゲーセンに熱気があった1995年 1995年はいま思い返してもゲーセンに熱気がある時代だった。 オウム真理教の地下鉄サリン事件、阪神・淡路大震災、エヴァンゲリオンブームなど、サブカルチャーと社会的な大事件がまじり合って、世の中が混沌と熱気にあふれていたこの時期、ゲームセンターでは、あるタイトルがとてつもないブームを巻き起こしていた。『バーチャファイター2』(1994年)である。 1993年に稼働を始めた『バーチャファイター』は、世界初の3Dグラフィック対戦格闘ゲームであり、ポリゴンと
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