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やる気の出し方
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「三大改革」だけじゃない 十代の頃に学校で学んだ日本史の内容として、「江戸時代の三大改革」を記憶している人も多いでしょう。 この三大改革と呼ばれた事柄は、かつては中学校の教科書には必ず載っていたものです。また高校入試などでも同様の表現で入試でも必ず出題されていました。改めてその三つを振り返ってみると、 将軍・徳川吉宗の享保の改革 老中・松平定信の寛政の改革 老中・水野忠邦の天保の改革 の三つとなります。
教科書にないッ! 日本史を学んでいるとよく登場する概念に「士農工商」があります。これについては「身分制度」あるいはインドのカースト(ヴァルナ)制度のような「身分序列」として長らく理解されてきました。 今回は、この士農工商の概念に関する誤解と、そもそもの意味などについて前編・後編に分けて見ていきましょう。 「士農工商」という身分制度・身分序列が現実に存在したと一般によく考えられていたのが、江戸時代です。 江戸時代の人々の身分は固定的で、農民が武士になったり、商人が農民となったりするような身分間の移動は許されなかったと長らく考えられてきました。それを表した言葉が「士農工商」だったわけです。 2006(平成18)年時点でも、某有名出版社の教科書では「こうした身分制度を士農工商と呼ぶこともある」と書き、「士農工商=身分制度」という意味合いを含ませた説明が見られます。 しかし、1990年代末には小学
あの偉人の名前が消える!? 歴史の研究も日進月歩で、これまでの通説やその扱われ方が大きく変わることも珍しくなくなりましたね。例えば、鎌倉幕府の成立は1192年ではないとか、「鎖国」という言葉が使われなくなるかもしれない、など……。 そんな状況の中、日本史界隈でまた衝撃的な出来事がありました。高校で使われる歴史教科書から、私たちが知っているある幕末の偉人の名前が削除されてしまうかも知れないというのです。 その偉人とは、他ならぬ坂本龍馬です。 特にエンタメ界隈では、幕末のヒーローと言えば坂本龍馬であり、幕末の歴史は彼を中心として描かれることも少なくありませんでした。私たち日本人の頭の中には「幕末イコール坂本龍馬」という図式がインプットされていると言っても過言ではないでしょう。 その龍馬の名前が、教科書に載らなくなるかも知れないのです。一体なぜ、そんなことになってしまったのでしょうか? 2ページ
まず、こちらの絵画をご覧ください。 狩野昌運筆『異代同戯図巻』(福岡市美術館蔵)部分 火縄銃をかまえる観音菩薩。まるで現代アーティストが昔の絵巻をモチーフに描いたようなユニークな作風ですが、じつはこの作品は江戸時代前期に描かれたものなのです。 今回紹介するのは、狩野派の絵師によって描かれた絵巻を読み解く『「戯画図巻」の世界 競う神仏、遊ぶ賢人』という書籍です。 「スナイパー観音」としてSNSで話題になった、火縄銃をかまえる観音菩薩が描かれているのは、狩野派の絵師たちの手で描かれた、江戸時代前期の絵巻「戯画図巻」のひとつ、狩野昌運筆『異代同戯図巻』(福岡市美術館蔵)です。 『異代同戯図巻』(福岡市美術館蔵)の場面の例 火縄銃をかまえる観音菩薩と、火縄の準備をする龍女。 この他にも殺生を禁じた釈迦は水辺で漁にいそしみ、怪力無双の弁慶は小さな一寸法師に追い回され、威厳ある雷神は足をカニに挟まれて
明治時代から昭和時代にかけて活躍した日本画家「神坂雪佳(かみさかせっか)」。江戸時代に芸術分野における一大流派であった光琳派(琳派)の画風を学び、花鳥画をはじめとする多くの作品を残しました。 雪佳はさまざまな図案集も手掛けており、それらの作品は以前Japaaanでも紹介してきましたが、
ところが最近の研究では、実は幕府側はこの江戸城の明け渡しについて、あまり重く考えていなかったことが分かっています。 詳しく言えば、当時の幕府側は、江戸城を明け渡すのはあくまでも一時的なものだと考えていたのです。城はいずれ返ってくるだろうし、徳川慶喜の地位も保証されるに違いないと思っていたのです。 これは、明け渡された江戸城が、幕府寄りだった尾張藩預かりになったのも大きな理由でした。いずれ城は返還されるだろうという噂も、幕府内では流布していたといいます。 この思惑があったため、かの勝海舟は、一度は江戸城の返還を大総督府に意見したほどでした。 2ページ目 明け渡し後も続いた混乱
「生水(なまみず)に気をつけるんだよ」 ふた昔し、み昔しくらい前は、よくそんな事を耳にしました。 ピンと来ない方向けに説明すると、生水とは川や井戸などからくんだままの(沸騰させない)水のこと。キレイに見えても細菌や寄生虫など、時には生命を脅かす危険があります。 だから飲む前に必ず沸騰させるのが鉄則。しかし見ただけでは分からないため、うっかり飲んで大変な事態を招くことも多かったようです。 そこで今回は鎌倉時代、生水が原因で生命を落とした北条時子(ほうじょう ときこ)のエピソードを紹介。果たして、どんな最期を遂げたのでしょうか。 不義密通を疑われ…… 北条時子は生年不詳、後に鎌倉幕府の初代執権となる北条時政(演:坂東彌十郎)の娘として生まれました。 名前は時子と伝えられているものの出典は不明。時政の娘だから政子(演:小池栄子)と名付けられた姉妹と同じ要領でそう呼ばれるようになったのでしょう。
サイクロトロンとは? 終戦直後、GHQ(General Headquarters:連合国最高司令官総司令部)は日本にあるさまざまなものを破壊しましたが、理化学研究所にあった「サイクロトロン(円形加速器)」もそのひとつです。 しかしこれは、GHQの無知といい加減さによる「暴挙」だったことが明らかになり、後に世界の科学者たちから非難されました。 事の経緯を追っていきます。 サイクロトロンとは、高周波電場と電磁石を使った荷電粒子加速器のことです。原子核物理学上の重要装置の一つでした。 原子核物理学は私たちの生活にも大きく関わる学問で、医療や農業、セキュリティなど幅広い分野で活用されていますが、1945年当時の日本にはサイクロトロンが複数台存在し、そのうち東京の理化学研究所にあったものは世界最大級のものでした。 これを製作した理化学研究所の仁科芳雄博士は、戦後サイクロトロンを使って放射性同位体を作
”トーハク”の愛称で親しまれている東京国立博物館が令和4年(2022)で創立150年を迎えたことを記念して、とんでもない特別展を開催します。 なんと東京国立博物館が所蔵する国宝89件をすべて公開するという、その名も特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」。 同館は明治5年(1872)の発足以来、日本でもっとも長い歴史をもつ博物館として、日本の文化を未来へ、そして世界へ伝えていく役割を果たしてきました。 本展では、150年の間に積み重ねられた約12万件という膨大な所蔵品の中から、国宝89件すべてを含む名品と、明治から令和にいたる150年の歩みを物語る関連資料を通して、東京国立博物館の全貌を紹介。 東京国立博物館が所蔵する国宝89件すべてを展示(会期中展示替えあり)するのは150年の歴史上はじめての奇跡的なことで、メモリアルイヤーにふさわしい展示となることでしょう。 なお、国宝となっている刀剣全
「縄文時代」といえば誰でも何かしらのイメージを持っていると思いますが、実はこの縄文時代は“一万年以上も続いた時代”だということをご存知ですか? 日本の縄文時代に類似した生活形態を持っていたのは、世界中を探しても北アメリカ北西海岸の一部先住民族のみで、縄文時代は日本独自の文化であり、日本人のルーツを探るのに必要不可欠な時代なのです。 そんな「縄文時代」は現在でもさまざまな議論が活発に交わされています。 縄文時代とは一体どんな時代だったのでしょうか? 研究者でさえまだ最終結果が出ていない、縄文時代の流れについて今回は少しゆるーくご紹介していきたいと思います。そのためには100年前後の事象のズレがあることをご承知おき下さい。 なぜなら縄文時代は今でも研究者・学者の間でも喧々諤々の論争を生んでいる時代なのですから。 歴史上で時代が変わるということの意味 縄文時代とは紀元前に10,000年以上も続い
明治時代にサンタは日本にやってきた 日本で最初にサンタクロースの絵が描かれた文献は、1900(明治33)年に教文館から発行された「さんたくろう」という小説。 「さんたくろう、誰www」・・・まあ、そうなりますよね。漢字で書くと、「三太九郎」。当時は「サンタクロース」という言葉に全く馴染みがなかったので漢字で当て字をし、私たちにより親しみやすくしたようなのです。 三太九郎のルックスはというと、帽子ではなくベールのような布をかぶっていますね。郵便配達人のようなバッグを斜めにかけ、手にはなぜかミニチュアクリスマスツリーを持っています。隣にはロバにも見えるトナカイ(?)、その背中にはカゴを背負い、中から大量のプレゼントが覗きます。 ちなみに「さんたくろう」の物語は国立国会図書館のデジタルデータで公開されています(記事末にリンクを貼っておきます)。 同じ頃に、東京銀座の明治屋という高級食材店が「クリ
なぜ日本は「除名」「経済制裁」を受けなかったのか? 戦前の日本史について「なぜ日本はあの戦争を避けられなかったのか」というテーマで調べていると、満州国の建国を国際連盟が認めなかった、という話が必ず出てきます。 関東軍が「暴走」して作ってしまった満州国。これが侵略と言えるかどうかが当時の国際連盟で議論され、その結果、連盟は満州国での中国の主権を認めて日本を非難する「非難勧告」を決議しました。 歴史の教科書では、この「非難勧告」を受けて頭に来た日本全権団が、席を立ち椅子を蹴って、「国際連盟から脱退する!」と宣言してその場を後にした……みたいなニュアンスのことが書かれています。 しかしそれが本当なら日本は国際連盟から脱退して、国際社会で孤立して、西欧諸国と対立していたはずです。それなのにその後、経済制裁も何も受けていません。この時本当は一体何があったのでしょうか? 日本と国際社会の関係は、悪化し
「征夷大将軍だから鎌倉幕府を開けた」はウソ!? 皆さんご存じの源頼朝(みなもとのよりとも)と言えば、「1192年に鎌倉幕府を開いた人物」として有名ですね。 そしてそれは、「征夷大将軍というポジションに任命されたことで、軍事のトップに立ったから幕府を開くことができた」という流れで現在に至るまで認識されてきました。 ところが、この流れが真実を言い当てているのかどうかは、ちょっと怪しいようです。 征夷大将軍=軍事のトップ=鎌倉幕府、ではないんですね。 一体どういうことでしょう? この記事では、その真実に迫りたいと思います。 朝廷が与える肩書きは「名前だけ」 「征夷」とは、僻地の人々を征服するために軍事力を振るうこと。そしてそれを承認された大将軍が、征夷大将軍だとされています。 しかし朝廷で内大臣を務めた中山忠親による『山槐記』によると、頼朝はこの「征夷大将軍」のポジションには興味がなかったようで
個人的にスウィーティは毎日食べていたというほど、青春のフレーバーです! 発売当時、人気フレーバーだった板ガムたちが、当時の味とデザインでよみがえりました。これらの復刻板ガムは現在、DAISOで先行復刻発売中。Japaaanでさっそくゲットしてみましたので、その味わいを紹介します。 まずこのパッケージデザインが懐かしいですよね。食べたことが無い人でも、きっとこのデザインが記憶に残っているひとはきっと多いはず。 ちなみに「スウィーティ」は1995〜2006年、「アセロラ」は1989〜1995年、「スペアミント」は1954〜1997年の発売。 どのフレーバーも、パッケージを開封した瞬間に懐かしの香りがガツンときますね。この”濃い香り”が、昔ながらの板ガムの特徴とも言えるでしょう。
かつて武家の棟梁として室町幕府を開き、その初代将軍として天下に号令した源氏の名門・足利尊氏(あしかが たかうじ)。 しかし時は流れ、第15代将軍・足利義昭(よしあき)が織田信長(おだ のぶなが)によって京都を追われると、幕府は滅亡してしまいます。 これで足利氏も歴史の表舞台から姿を消してしまった……と思われがちですが、武士の世が終わりを告げる明治維新まで大名として存続した家がありました。 今回はそんな喜連川(きつれがわ)藩のエピソードを紹介したいと思います。 尊氏の次男・足利基氏の末裔 喜連川は足利一族の故地として知られる下野国塩谷郡(現:栃木県さくら市)にあり、足利尊氏の次男・足利基氏(もとうじ)の末裔である足利国朝(くにとも)が、時の天下人である豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)から400貫(3,500石)の所領を与えられた(※)のが始まりです。 (※)元の所領であった下総国千葉郡小弓城(
一度は訪れたい東京の名店「純喫茶」の名物メニューをミニチュア化させたカプセルトイ「純喫茶 ミニチュアコレクション」が登場です。「純喫茶 ミニチュアコレクション」は、古き良き時代の雰囲… 第2弾は「関西編」。大阪府、京都府に実在する5店の純喫茶の看板メニューがミニチュアフィギュア化されます。 ディレクションは、SNSや書籍などで純喫茶の魅力を発信している難波里奈さん。商品に同梱されているリーフレットには、第1弾と同様に難波さん書き下ろしによる純喫茶の紹介文や写真が掲載されます。 ラインナップは5種類。 京都府/喫茶ソワレ ゼリーポンチ 昭和23年(1948年)創業の喫茶ソワレ。看板メニューの「ゼリーポンチ」は、昭和50年頃(1975年頃)から喫茶ソワレのメニューに仲間入りしました。ミニチュアでは、ソーダの中に5色のゼリーが浮かんでいる様子を再現。柄に装飾がほどこされたスプーン、凹凸のある特徴
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