──﹁紛争屋﹂なのですか。 今教えているのは﹁平和と紛争﹂学、つまり国際関係論。僕自身、現場にいたが、学者の書いたものを現場にいる人は読まない。読まないから国際関係がおかしくなると学者は思いがちだが、現場のほうはそれが現実離れしていて役に立たないと言っている。僕は両方をリンクするものを目指しているが、教員自体を天職とは思っていない。 ──現場? もともと理科系で、建築をちゃんと勉強していた。あえて紛争屋と自称しているキャリアは20代半ば頃、インドのスラム街から始まった。その後、国際非政府組織︵NGO︶の現場事務所長として、アフリカのシエラレオネ、ケニア、エチオピアで農業開発にかかわり、国連平和維持活動︵PKO︶の幹部としては、東ティモールの知事になって多国籍軍大隊を統括しつつ、国づくりの指揮も執った。40代で同じくPKOで再びシエラレオネにて武装解除に携わり、2003年から翌年にかけてはア
![日本人は、「本当の戦争の現場」を知らない](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e907729e4daf2db006b593fb664c052852ddf5c9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ftk.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F0%2Fb%2F1200w%2Fimg_0b477f2e31b950a617619fb8fd9792cc1540482.jpg)