![原発問題に関して、意見や言い方が自分と合う合わないの表](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/268187f6e2c19d21e1732f884e172a153f5b0099/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Fb592d9aeec83c84a97d7b3fd8b0d5698-1200x630.png)
よく見かけるレトリックに,「肉屋を支持する豚」というものがあるけれど,これって揶揄表現としては問題大ありだと思うんだよなあ。 たとえばそれは「福祉切り捨ての新自由主義を支持するワープア層」とか「表現規制の自民党を支持するオタク」とかに向けられている言葉なわけだけれど,自分の私的利害と「あるべき社会像」が衝突したときに後者を優先させるのは,その「あるべき社会像」の内実を問わずに外形的基準のみで評価するならば,民主政国家における模範的市民と言い得るんじゃないのかと。 もちろん,全員が公共の福祉のために滅私奉公するのだ,といえばそれはファシズムになってしまうのだが,しかし公正な社会像をめぐる議論ではなるべく自分の私的利害は反映させない方がいいんじゃないのっていう点はたとえば無知のヴェール論とかでも論じられてきてるわけで,自分の私的利益度外視して各人の考えるあるべき社会像の実現にコミットする行為そ
嫌なら見るなというと、 八頭身モナーと呼ばれるキャラの全裸を見せつけるアスキーアートが ネット住民なら頭に思いついたところで横に置いておきますが、 ええ、頭に思いついたので貼りません。なんかズレがあるんですよね。 会話を見てて。よく見かけるのが 未成年が主に使う、「自分が批判されるのが嫌で、あなたが嫌なら私も嫌なので反論しないでください。」っていう。甘え系。 まあ、説明不要ですね。ネットでもよく速攻で反論されていますが。嫌なら見るなって、僕が思ってたのは 嫌いなものをあれが嫌いこれが嫌いとベラベラ喋るような迷惑な人に向かって言うものじゃないかと思うんですが。 例えば、「私はなんたらかんたらがどうしても好きになれないんですが、どこがいいんですか?」みたいな。挑発してるのに素直に聞いているんですよ純粋な疑問ですよ、っていうのを盾にしている系。 質問系サイトでたまに見かけますが
「バロック」「キングオブワンズ」「ぷよぷよ」「トレジャーハンターG」「魔導物語」等のゲームを監督/脚本/企画した米光一成のSite 対話のつもりでも、長引くと、好戦的な視野になってしまう。 そうなるといけない。 どんどん視野が狭くなってしまう。 どんどん建設的な対話でなくなってしまう。 「相手を打ち負かす」という姿勢は虚しいだけだ。 “襲いかかってくる者は攻撃することしか頭にない。でも先生は他の可能性もあるのだと見せることができる。「攻撃とは狭い視野でしかない、もっと広く」と。” 日野晃/押切伸一『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』 そういうときは、やはり「そこから離れて頭を冷やす」ということが必要。 リアルな場であれば、それも簡単なんだけど、ネットだとむずかしい。 ずるずると長引かせてしまう。 そこで、自分内ルール化することにした。 【“悪口言い出した人は泣いてるのでそっ
2011.07.07 論破というのは結局あまり意味がない (4) カテゴリ:カテゴリ未分類 ネット上のあるツイッター上でエロマンガの表現規制に関しての論議を見ていたのですが。 片方がもう一方を理詰めでどんどん追い込んでいく。追い込まれた側はだんだん苦しい言い訳に終止し、最後は返答を書かなくなった。 そして、その追い込んだ側が一言「論破しました」 ・・・あれ? 昔から思うのですが、この手のディスカッションで言論の勝ち負けで宗旨が変わる、ってことはほとんどないような気がする。 この上の負けた(?)側が、明日からエロマンガ表現規制賛成派から反対派に変わるとも思えない。むしろ、この恨みをさらに発酵させて過激な表現規制派に変貌してしまう可能性も高い。 こういうのってお互いの相互理解のため、歩み寄りのための討論であれば有意義なんですけど、片方が片方を打ち負かすことで正義を貫く、みたいな手法は、結局理解
2018年02月10日22:00 議論ってやるだけ無駄だよな、全くもって時間の無駄 過去のおすすめ記事の再掲です 1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/06/13(月) 22:39:55.07 ID:65fa8Q6H0 ・相手が馬鹿の場合 こちらがどれだけ懇切丁寧に筋道立てて話してあげても馬鹿なのでこちらの話を理解してくれない 悪魔の証明や、必要十分条件など議論する上での常識すら理解してないことが大半でありそれらのことを説明しても全く理解せずただ自分の主張を繰り返すだけ ・相手が賢い場合 相手が賢い場合、相手はそう主張するに足る証拠や論拠で理論武装している場合が大半である 即ち、こちらが論理的であっても向こうもまた論理的であり突きつめれば 最終的には物の考え方の違い、つまり、哲学、宗教の次元の話になってくるので議論では解決しようがない よって議論は
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