歴史と医療に関するstealthinuのブックマーク (2)
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本項で解説する地方病︵ちほうびょう︶は、日本住血吸虫症︵にほんじゅうけつきゅうちゅうしょう︶[† 1]の山梨県における呼称であり、長い間その原因が明らかにならず、住民らに多大な被害を与えた感染症である。ここではその克服・撲滅に至る歴史について説明する。 ﹁日本住血吸虫症﹂とは、﹁住血吸虫科に分類される寄生虫である日本住血吸虫︵にほんじゅうけつきゅうちゅう︶の寄生によって発症する寄生虫病﹂であり、﹁ヒトを含む哺乳類全般の血管内部に寄生感染する人獣共通感染症﹂でもある[3]。日本住血吸虫はミヤイリガイ︵宮入貝、別名‥カタヤマガイ︶という淡水産巻貝を中間宿主とし、河水に入った哺乳類の皮膚より吸虫の幼虫︵セルカリア︶が寄生、寄生された宿主は皮膚炎を初発症状として高熱や消化器症状といった急性症状を呈した後に、成虫へと成長した吸虫が肝門脈内部に巣食い慢性化、成虫は宿主の血管内部で生殖産卵を行い、多数寄
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ありふれた奇跡 ﹁歴史を変えた医薬品﹂を紹介してきた本連載は、ついに真打ちともいうべきペニシリンにたどり着いた。この薬を手にする前と後で、人類のあり方は全く変わってしまったといえる。20世紀前半――まだそう遠い昔ではない――には、一度感染すればただ回復を祈るだけしかできなかった数々の病気が、ペニシリンの出現後はやすやすと治るようになった。﹁20世紀最大の発明﹂という評価は、全く大げさではない。 これまで、いくつかの薬が歴史上の有名人を救ってきたエピソードを述べてきた。しかしペニシリンが救った人命の数は、少なく見ても数百万という単位になる。おそらくこれを読んでいる読者の中にも、ペニシリンがなければすでにこの世にない人がいることだろう。 明治期から戦前にかけて、日本人の平均寿命は40歳台で推移している。乳幼児死亡率は高かったし、20代30代の若さで亡くなることも、なんら珍しいことではなかった。
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