前回のエントリー記事﹁パリが燃えている﹂の中で、日本のニートやフリーターが、今回のフランスの暴動のような集団行動を引き起こす可能性について言及したところ、ひろさんからは、﹁阪神淡路大震災の時には、比較的平穏だった﹂ことから﹁︵日本の状況について︶もっと、自信を持ったほうがよいのでは?﹂という意見や、武井さんからも﹁ニートやフリーターは山谷や愛麟地区の予備軍としての存在ではない﹂という指摘をいただいた。いずれも重要な問題提起を含むコメントであり、このことについてもう少し考えて見たい。 満腹した羊としてのニート、フリーター ニート、フリーターのことを考えた時に、私の脳裡に真っ先に浮かぶイメージは、バクダットで現地のイスラム武装集団に捕らえられ、首を切られて斬殺された香田青年が、ビデオ映像で命乞いする姿だ。 いうまでもなく、こうした憎むべき犯罪行為を犯したテロリスト集団がまず厳しく糾弾されるべき
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