どちらも自分の専門について誠実な二つの議論。対象とアプローチが全く異なる。 一つはある種のでたらめを信じている人に対して物の考え方を基本として諭すやりかた。実は﹁信じている人﹂については諦めていて、﹁半信半疑﹂の人に対して嘘を嘘と見抜くための方法を提供している。このアプローチは自分の仕事の範疇をわきまえて、できる範囲で誠実に行っているから、その点について批判されるのはおかしい。信じている人たちの心を直接変えるためには逆洗脳しかありえないが、それはコストが見合わない。しかし自分が信じている世界があまりに周りとかけ離れていることに気付けるほど、周りが正反対のことを信じていれば何かのきっかけで洗脳が解けることがありうる。多分、そういうコスト意識もあるんだろう。 もう一つ。対象はレベルの大きな差はあれ、それなりの専門家である。と言っても、分かってやっているのではなく、中途半端な理解でそれを行ってい