自民有志「教科書検定制度は堅持を」 何で教科書検定制度を堅持しなきゃいけないんだろう。今回の問題を見ているとすごく奇妙なのは,歴史の問題は歴史学とかそうした学問の世界で白黒はっきりさせようとするんじゃなくて教科書の記述でそれをやろうとしているところ。 この国の学問,特に歴史学などは「教科書」で「政府公認」があるかないかでその価値だとか真実とかが決まるらしい。非常に馬鹿げたことだと思う。「教科書検定制度の堅持を」という主張とかhttp://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-1097.htmlにあるような「学問の自由論」などは「政府公認」になることで自分たちの意見を「正当化」するためだけに堅持したいのだし,教科書検定制度そのものが学問の自由を侵害しているかいないかは関係なく,自分たちにとって都合が悪けりゃ学問の自由が侵害されたと主張する。その程度のこ
前回「だまされていたけど、真実を知った私」という扇動されやすい人の話をした。論理的な思考力を鍛える訓練をしたことがないのに、情報に触れた人が陥りがちな過ちであるが、これは何も今の学生に特有の現象ではない、と思う。 思えば私自身も学校では論理的な思考力を養う訓練は一切行なわなかったように思う。大学進学率が50%を切る、いわゆる進学校の出身ではないせいかも知れない。私がそういう訓練を受けたのは、予備校の小論文対策講座だった。 私は私大文系に進学した。もちろん小論文などない。そのせいか、論理的な思考力が欠落した学生が多かったように思う。私自身論理的な思考力がついていたとは胸を張っていうことはできない。そして概ね情報弱者である。 情報弱者で論理的な思考力が欠落しているが、その自覚のない人が大学に入って、「政治的な理由で教科書には書かれていないが、これが真の歴史である」とか、「馬鹿には理解できないが
現在鎌倉時代の講義*1をやっている。一昨年にもやったが、今年もやっている。なぜだかテスト一発勝負はダメ、という大学で、そのくせ数百人を一つの教室に詰め込むから、講師としてはどうやってテスト以外の評価をするべきなのか、よくわからない。そこで適当な時期に小レポートを書かせている。 一昨年宝治合戦のところでレポートを書かせた。宝治合戦とは、鎌倉幕府の有力御家人であった三浦泰村が北条時頼に滅ぼされ、鎌倉幕府の政治上の大きな画期となった合戦である。一般には得宗専制への道と評価される事件だが、永井晋氏の『吾妻鏡を読み直す』という著書の該当箇所を読ませて、レポートを書かせた。永井晋氏は、従来の時頼黒幕説ではなく、時頼は三浦氏から安達氏への外戚の交代をスムーズに行いたいと思い、三浦泰村にも事を荒立てるつもりはなかったのだが、時頼派の強硬派安達景盛と三浦氏の強硬派三浦光村に引きずられる形で合戦に至った、とい
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