Historyとyoniumに関するsynonymousのブックマーク (4)
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講談社刊の﹃東京裁判﹄上下巻をほぼ読み終わったところで感想を書き述べるが、やはり東京裁判と南京大虐殺の二つが密接不可分な関係の問題であることをあらためて痛切に考えさせられる。今回、森岡問題が起きた際に中国外交部の孔泉報道官が東京裁判の歴史的意義について若干触れ、その中で絞首刑七名の殆どが中国への侵略戦争の責任を問われたA級戦犯であった点が強調されていたのだが、なるほど確かにそのとおりであり、中国政府にとって東京裁判の意味がきわめて重大である理由がよく分かる。死刑判決を受けた戦犯七名の中で日中戦争に関係なかった者は一人もいない。軍人ではない文官の広田弘毅が異例の極刑に処せられたのも、南京大虐殺事件の当時の外相でありながら、大虐殺の報告を受けつつ、それを制止する措置を怠った不作為の責任が問われたことによる。松井石根と広田弘毅の死刑は、まさに南京大虐殺の責任を取らされたものであった。 南京大虐殺
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歴史教科書におけるナショナリズムの問題について考えつつ、それと密接に関連する問題として、歴史とは物語なのかどうかという議論に関心が向いて行く。歴史という知識や学問における物語性と科学性という問題をどのように整理して、納得的な暫定解を置けばよいのかという課題に逢着して、それを簡単に回避できない気分になるのである。歴史認識には物語と科学の二つの矛盾する要素が存在する。虚構と真実の問題と考えてもよいかも知れない。結論を急ぐ必要はないのだが、現在の歴史学が提供しているテキストが、過去の事実を全て間違いなく再現し構成した無謬のものだと考えるのは、あまりに早計で幼稚な知的態度であると言えるだろう。史料は新発見されるものであり、再発見されるものである。史料批判こそが歴史学であり、史料の価値と評価は時代によって変動する。同じ史料の意味づけが変わることで歴史認識が変わる。そして史料の意味転換を媒介するのは、
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歴史認識とナショナリズムの問題についてさらに考察を続けたい。西尾幹ニの﹃国民の歴史﹄を読んだのは六年前である。初版第1刷を買った。774頁の分厚い本で、時間は少しかかったが最後まで読んだ。あれくらいの分量の本を最後まで読了することは滅多にない。前半に登場するところの漢字を仮名にする話が面白く、予想した以上の知的刺激があったので、後半もそういう興味深い話題が登場するのではないかと期待して最後まで読んでしまったのである。豈に図らんや後半は全く期待外れで、近世以降は全然面白くなく、近現代史は滅茶苦茶だった。これはあの本の読者の一般的感想ではないかと思われる。古代史、すなわち中華文明︵中華帝国︶から日本が古代国家として独立する歴史過程の叙述が斬新で説得的だったのである。その評価は現在でも変わらない。思想としての漢字文化を様式受容しつつ換骨奪胎し、時間をかけて仮名開発に成功、文化的独立を達成する問題
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ナショナリズムの歴史認識の問題について続けたい。明石書店から出ている韓国と中国の歴史教科書を立ち読みで読んだことがある。中韓それぞれ小学校、中学校、高等学校の歴史教科書が出版されていて、全部揃えれば六冊になる。商品として魅力的で食指が動くのだが、一冊の価格が三千円から六千円と高く、残念ながら貧乏人には手が出せない。仕方なく中学校と高校用の二冊ずつ計四冊を本屋で立ち読みした。立ち読みしたところでの感想を言うと、特に中国の歴史教科書は面白くて、いい感じの中身に仕上がっていた。TBSの﹃ブロードキャスター﹄の報道などでその強烈な﹁反日﹂傾向が槍玉に上げられ批判されていたので、相当に偏向したものを予想していたのだが、実際にはそのような記述は皆無だった。むしろ無さすぎて不満に感じたほどで、期待した抗日戦争に関する項もきわめて分量が少なく、過激な表現を探したこちらが落胆させられるほどだった。率直に言っ
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