personとあとで読むに関するtaskapremiumのブックマーク (2)
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色んなサッカーを観ています。マイナーからメジャーまでチェックしています。ふつつか者ですが、宜しくお願い致します。 中島ファラン一生を知っているだろうか?カナダで生まれ、3歳の時に日本へ移住。日本人、イギリス人の間に生まれ、ヴェルディ川崎のジュニア・ユース、クリスタル・パレスのアカデミーなどに所属し、2003年にアルビレックス新潟でプロキャリアを始める。Jリーグでは結果を残せずに、アルビレックス新潟シンガポールへ移籍。その後、ヴェイレ、ノアシャラン、トロントFCなどで活躍、イングランド、カナダ、そして日本と代表チームに選ばれる権利を持っていたが2006年11月のハンガリー戦でカナダ代表としてデビュー。日本代表に選ばれることはなかったが、貴重な日系プレイヤーとして今も世界中でサッカーを続けている。 そんな中島ファランにはもう1つの顔がある。それが、アーティストだ。今回は、サッカーのキャリアと
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ジョン万次郎 伝 ジョン 万次郎︵じょん まんじろう︶ 天保年間︵一月一日︶ - 中浜万次郎ことジョン万次郎である万次郎は、土佐の西端幡多郡中浜の貧しい漁師の二男として天保年間︵一月一日︶に生まれている。 九才で父を亡くし母親はほんの小さな田を小作し、稲穂がまだ実らず青い頃にしごいてきてホウロク︵石うす︶で煎り、粉にして子供達に食べさしたほどの貧しい生活であったという。 十歳頃から稼ぎに出ていたと言うが、多分使い走り程度の仕事でその日その日を食うか食わずの生活であった事だろう。 万次郎は14才で宇佐に出稼ぎに来て遭難する。その出漁日が一月六日と言う事は正月も中浜の家には帰らず仕事をしていたことになる。その当時西の幡多から高知まで大人の足で一週間の距離だったというその近くの宇佐である。こんな日々の中母親に甘える事もできず遭難する。今なら中二の少年だ。 故郷を離れて十年。脱藩でも死罪の時代
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