友達に関するtenbin-girlのブックマーク (2)
-
﹃音楽が聴けなくなる日﹄︵宮台真司、永田夏来、かがりはるき著/集英社新書︶で、永田夏来さんが、電気グルーヴの石野卓球さんのtweetを紹介していました。 キミたちのほとんどは友達がいないから分からないと思うけど友達って大事だぜ。あと”知り合い”と”友達”は違うよ — Takkyu Ishino/石野卓球 (@TakkyuIshino) April 4, 2019 このtweetは、けっこう話題になったので、目にしたことがある人も多いのではないでしょうか? 僕は﹁友達﹂が極めて少ない人間なので、石野卓球さんとピエール瀧さんの﹁友情﹂は、すごく羨ましいのです。 いや、﹁石野基準﹂でいえば、僕には﹁友達なんていない﹂のかもしれません。 ﹁友達﹂について考えるとき、僕の頭にいつも浮かんでくる記憶があるのです。 小学校5年で、人口30万人くらいの中国地方の街から九州の地方都市に引っ越した僕は、九州で
-
20代女同士の友人である場合、食事・遊びの際の支払いはおそらく大多数が﹁割り勘﹂となるだろう。 どちらかの誕生日や何かしらのお礼等のイレギュラーなケースを除けば大体がそうだと思う。 かく言う私も外食であればそうなる。私は酒を飲まないので、のんべぇとの食事であれば飲酒する友人が少し多めに支払うことはあるが、概ね対等・平等・公平だ。 だが、その均衡がどういうわけか狂う場面がひとつだけある。 友人等が私の一人暮らしの家にやって来て食事をするときだ。 手前味噌だが私は料理が得意なほうだ。 あまり得意ではない、あるいはまったくしない友人等が自宅に来ると料理を振る舞う。 一人暮らしを始めた当初に﹁遊びにきて﹂と私が誘い、以降この“食事会”は3~6ヵ月のペースで、もう5年程開催されている。 このところは友人の誰かが﹁○○のうちでご飯食べたい﹂と言い出して開催する流れが多い。︵つまり、私が“招待”している
-
1