2014年の年末、東京・新宿のマルイにある銀座アスターで、ある特別な忘年会が開かれた。「長い間本当にありがとう。みんなが気持ちをひとつにしてくれたおかげで、なんのトラブルもなく店を閉めることができた」。中華料理のコースを囲みながら、このとき80歳の新保圭司郎さんが5人の元社員たちをねぎらった。 いまから40年以上前、まだほとんど無名だった新潟産のコシヒカリを見いだし、東京に広めた米穀店「三島屋」のメンバーが開いたささやかな「別れのうたげ」だった。 閉店からおよそ1年が過ぎ、状況が落ち着いたことを受け、新保圭司郎さんと息子の健介さんにインタビューした。三島屋は創業が大正12年(1923年)。東京都新宿区大久保で90年にわたってコメを売り続けたこの店が閉店した経緯をつづる前に、今回はまず、三島屋とコシヒカリとの出会いから説き起こしたい。 疎開先で食べたおいしいコメを求めて 「新潟のコメはまずい
町の小さな米屋が、米の価格高騰にあえいでいる。昨夏の猛暑による米の品質低下などを背景に、スーパーなど大手小売店とは異なる流通形態をとる一部の中小零細の米穀店で、仕入れ価格が急騰した。販売価格への十分な転嫁ができず、経営危機に直面している。(砂本紅年)
森啓司 カインズ プロ事業本部 資材部でバイヤーを務める。主に建設現場などで使われる資材に精通した、石と砂のプロフェッショナル。
2017 年、新宿・早稲田でオープンいたしました。 (※前身は天保5年、加賀前田家の城下金沢にて創業の石川屋本舗になります。その後3代目石川弥一郎が明治39年に加賀前田潘の跡地でありました新宿5丁目に移り、近くにございます花園神社様から名前を頂き屋号を花園万頭として184年の永きにわたり和菓子の製造販売をしておりましたが、185年目に石川家による経営は終了しております。) 改めて伝統と革新をテーマに、ニューノーマルな和菓子店として朝生菓子を中心に、早稲田大学正門、大隈講堂よりすぐの場所でお手土産、おもたせにも最適な商品も多数取りそろえております。 生菓子は、国際線ファーストクラス、老舗和菓子メーカー、コンビニまで、数々の和菓子の企画・開発に幅広く携わってきた職人が、もち米など素材の味を生かすため、和菓子の軸となる餡の糖度はバランスを考え抜き、店舗併設の工房で製造しています。 店名の「七里香
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