2000年以上前の古典をいま読むことにどんな価値があるのだろうか。京都大学の内山勝利名誉教授は﹁古典は確固たる規範として維持、存続されてきたというイメージがあるが、実は違う。それぞれの時代と場所において、まったく異なった作品として新たに解釈され、各時代の状況を大きく揺り動かす力を示してきた﹂という――。 ※本稿は、内山勝利﹃変貌するギリシア哲学﹄︵岩波書店︶の一部を再編集したものです。19世紀まで埋もれていたミロのヴィーナス像 ギリシア彫刻の美しさを思い浮かべてみよう。たとえばミロのヴィーナスでもいい。むろんあの女神像を古代ギリシア人も美しいと思ったに違いない。そして、現代のわれわれもそれに感嘆する。長い時間をへて今日によみがえったその美しさは、しばしば﹁永遠の美﹂と言われ、﹁不朽の美﹂と称賛される。
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