私は「ネットロア」という語をかなり広義に捉えていて、噂や風説といったもの、そこまではっきりしなくても、「なんとなくぼやっと信じられてそうなこと」までも含んでおります。最近は世の流れで時事ネタを多めに取り扱いますが、私自身は「なんとなくぼやっと」のネタの方が、いつもワクワクしながら取り組めています。 というわけで、今回はその「ぼやっと」ネタの、「現代のむかしばなし、昔よりマイルドになってる説」です。 バアちゃん殺されないとか歴史修正主義者の暗躍がひどい pic.twitter.com/EfpqAPpY5Z — 新米先達mayan (@mayan1969) May 8, 2018 ずいぶん前のツイートですが、最近TLに回ってきたので、へえ、と思った内容です。最近の「かちかち山」は、おばあさんは殺されず、しかも改心したっぽいタヌキと和気あいあいと打ち上げパーティーのように終わるんだとか、そういう
※2013年5月くらいに書いたらしい書きかけの文書。 哲学史と哲学的論題 哲学史は問題の花園である。 それは ふつうの人は どんな問題に関わってはいけないか を教えてくれる。暮らしの中で そうした特殊な問題に出会ったときには、その問題が出ないところまで戻ってやり直すか、それを回避するようなプラクティカルな手立てを何か考えるべきだ。しかし哲学的な問題に うっかり哲学的に取り組んでしまわないためには 哲学を学ぶ必要がある。自分が特殊な問題に出会っていることに気づくためには知識が要るのであって、哲学者を目指さない人が哲学(史)を学ぶ 第一の・そして最大の意義はそこにある、と私は思う。 他方、職業哲学者たちは そうした ふつうの人が関わってはいけない問題に 人類を代表して取り組んでいるのだから、敬意をもって遇するべきであろう。 アナス&バーンズ『古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式 (岩波文庫)
図:物理「3年進学写真」の解析結果。全学生数(黒;左目盛り),女子学生数(赤:右目盛り),および学生服着用者の全学生に対するパーセント(青;左)を示す。緑の点線は,横軸を温度 (1945年が0, 1970年がキュリー点)と見た時の鉄の自発磁化曲線。 拡大画像 物理学科では毎年4月に3年生の集合写真を撮り,学生と教職員に配っている。これら「3年進学写真」は以前,数冊のアルバムに貼られ,4号館にあった教務室で,威厳ある主任秘書様の背後の戸棚に収められていた。偶然アルバムの存在を知っていた私は1997年の暮れ,建替え移転の際に大切に運び,新1号館の教務室で開梱していた。通りかかった同僚のH教授が,それを見て「おお,これはすごい」。数日後,すべてスキャンされて物理ホームページにアップされていた。現在は残念ながら肖像権保護のため,サイト内でのみ閲覧できる。 これらの写真は歴史の証人である。「あの大先
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