地主恵亮 ライター。1985年、福岡県生まれ。基本的には運だけで生きているが、取材日はだいたい雨になる。2014年より東京農業大学非常勤講師。著書に『妄想彼女』(鉄人社)、『ひとりぼっちを全力で楽しむ』(すばる舎)がある。
![なぜ人は庭に小人を置くのか? ガーデンノームの謎に迫る! | となりのカインズさん](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/a833a3174b1c923ce1da0ade6df28792e13668e3/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fd2tzd06cwmvahj.cloudfront.net%2Fwp-content%2Fuploads%2F2021%2F06%2F24092928%2Fgarden_kobito_ogp-min.jpg)
(前回から読む) 宮崎県南郷村(現美郷町)は、明治、大正、昭和初頭と、林業で栄えた村だった。材木景気が去るとダム建設で口を糊した。公共事業にすがった一時代があった。それも過ぎれば、山の緑と蒼天が美しいばかりの、静かな村になった。村外に流出する人の数が増え続け、やがて過疎の村といわれるようになる。 村の所在地を聞かれれば“椎葉村の隣、若山牧水の生家のそば”と説明してきた「何もない村」の住民は、諦観に甘んじるようになっていた。同じ「何もない村」でも、椎葉は、ないことを逆手にとって「秘境」で全国に名を馳せた。観光客は秘境へ、椎葉へなびく。大型バスが、県外ナンバーの乗用車が、南郷村を素通りしていった。 「神門神社(みかどじんじゃ)の銅鏡は、どげんかならんもんじゃろか、祖母の話じゃと、昭和の初めころ神門神社の銅鏡を研究に来た広瀬都巽(とせん)という学者は、ご飯を食べるのも惜しんで鏡を見つめておったそ
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