テクノの巨匠、リッチー・ホウティンが教育用シンセを開発2023.06.20 10:0017,508 巽英俊 1990年代からシーンの第一線で活躍するテクノDJ&プロデューサー、リッチー・ホウティン。 プラスティックマンやF.U.S.E.などの名義でリリースされてきた彼のトラックは、シリアスでディープなアシッドハウス〜ミニマルテクノ。日本のクラブシーンでも非常に人気が高いアーティストです。 彼は楽曲制作以外にも、テック面でシーンに大きな貢献をしています。 具体的にはTraktorなどのDJソフトウェア開発に関わっていたり、自身で設立したメーカーからミキサーなどの機材をリリースしていたりと、音楽家の視点を機材開発にもたらすべく尽力しているのです。 DJプレイと映像をミックスしてライブセットを演出する独自のアプリ「Closer」も、テクノファンにはよく知られていますね。 拡張カードでさらに複雑な
【Update:2020/05/07 06:13】 クラフトワーク(Kraftwerk)の創設者の一人、フローリアン・シュナイダー(フローリアン・シュナイダー=エスレーベン/Florian Schneider-Esleben/Florian Schneider)が癌のため死去。73歳でした。 クラフトワークは声明を発表。 「クラフトワークの共同創設者でエレクトロニック・ミュージックのパイオニアであるラルフ・ヒュッターは、何十年にもわたって彼の友人であり仲間であったフローリアン・シュナイダーが73歳の誕生日から数日後にの短い癌のために亡くなったという非常に悲しいニュースをを私たちに送ってきました」 「1968年、ラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーが芸術的および音楽的なコラボレーションを開始しました。1970年、彼らはデュッセルドルフにエレクトロニック・スタジオ“クリング・クラング
設立が発表されていた博物館プロジェクトは密かに進行中の模様だ
HISTORY OF DJ : TECHNO ①はコチラから DJの歴史テクノ編の第二回は発祥の地とされるデトロイトに次いで重要な都市、ドイツはベルリンにおけるテクノの成り立ちをご紹介します!第一回で触れたように、音楽的にはテクノに極めて近いスタイルの音楽が世界の様々な場所で同時多発的に生まれていました。デトロイトにおいて決定的な「テクノ」という名前がつけられたものの、サウンド面においてはヨーロッパのニューウェーヴ、シンセ・ポップ、EBM、インダストリアルからの影響を多大に受けたものでした。 Kraftwerk – Man Machine (78) ドイツは中でも革新的な電子音楽という点においては世界をリードしており、特に70年代初頭から80年代にかけて、デュッセルドルフではご存知クラフトワークを筆頭にノイ!、カン、クラスター、DAF、リエゾン・ダンジェリューズといったバンドが、ベルリンで
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