microsoftに関するvabo-spaceのブックマーク (4)
-
-
﹁6年勤めたNTTを退職しました﹂という記事が、注目を浴びているようですが、この筆者が NTT を辞めた理由が、私が32年前︵1986年︶に NTT を辞めた理由とあまり変わらないのに、少々驚きました。 私が NTT を辞めた件に関しては、これまで色々なところで話しては来たのですが、まとまって文章にしたことがなかったので、これを機会に書くことにしました。普段ならメルマガ︵週刊 Life is beautiful︶の読者限定で書くところですが、今回だけは、出来るだけ多くの人に読んで欲しいので、ブログ記事として公開します。 当時、NTTは電電公社から民営化したばかりで、1985年に入社した私は、NTTとしては第1期生でした。大学は、早稲田の理工学部電子通信学科で、修士課程まで行きました︵当時は、情報学科はまだ独立しておらず、電子通信学科がソフトウェアとハードウェアの両方をカバーしていました︶。
-
-
6月1日発売の﹃なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である﹄には、いくつかマイクロソフト時代のエピソードが書かれていますが、これもその一つです。この﹁シカゴ対カイロ﹂の社内抗争はマイクロソフト時代の思い出の中でも、筆頭のものです。 ◇ ◇ ◇ ビル・ゲイツの意思決定は光速 ビル・ゲイツが仕事で重要視していたのは、"光速"と言っても過言ではない迅速な意思決定です。これについては、どのくらい迅速だったかを象徴するエピソードを紹介します。 あれは忘れもしない1995年1月、シアトルの冬らしい小雨の降る昼下がりのことでした。米マイクロソフト本社内にはOSの開発に関する派閥争いがありました︵OSとはマイクロソフトで言うWindows Vistaだったり、アップルでいうところのOS Xなどのパソコンやスマホを動かすための基本ソフトのこと︶。"カイロ"というグループと"シカゴ"という
-
1