デトロイト・タイガースの右腕アルマンド・ガララーガ投手が2日、地元でのクリーブランド・インディアンス戦で、最後の最後に誤審によって完全試合を逃す悲劇に見舞われた。 問題のシーンは9回裏2死走者なしで、インディアンス27人目の打者ジェーソン・ドナルド遊撃手が一、二塁間へのゴロを放った直後。この打球をミゲル・カブレラ一塁手が好捕してベースカバーのガララーガに送球すると、タイミング的には完ぺきにアウトだったにもかかわらず、ジム・ジョイス一塁塁審はセーフをコールした。タイガース側が抗議するも判定は覆らず、この瞬間、タイガース史上初、今季メジャー3人目のパーフェクトゲームの夢は断たれた。 試合後、ビデオ映像を確認したジョイス塁審は誤審を認め、「私のキャリアで最大のコールだった。若い選手の完全試合を台無しにしてしまった」と憔悴した様子でコメント。「送球よりも打者のほうが早いと思った。確信していた。
東大野球部の1919(大正8)年創部以来の歴史をまとめた「東京大学野球部90年史」が3月末に刊行された。東京六大学唯一の国立大として、私学の強豪5校に挑み続けてきた野球部の苦闘ぶりがまとめられている。【岸本悠】 OB会の「一誠会」(片山直久会長)が中心となり制作した。2019年を目指して「百年史」を制作する予定だったが、貴重な生き証人であるOBが鬼籍に入って話を収集できなくなることも考慮。準備の前倒しの意味合いを兼ねて、08年から編集作業を始めた。75年に刊行された旧部史を半分ほどに短く編集して前半部分に収容。後半に76年から09年までを記録とともに1年ごとに掲載した。 第二次世界大戦に伴いリーグ戦が中止された43年に、入隊・出征を控えた部員たちが一斉に花街に繰り出し、芸者たちが寮まで送ったエピソードなどを紹介。春季で優勝まであと一歩に迫り「赤門(東大にある門。東大の代名詞)旋風」を巻き起
2010.03.04 NPB新人研修 木村拓コーチ講義内容 高校時代は4番を打っていて、捕手でした。19年間プロ野球選手をやって、最後は2番・セカンドになった。そのいきさつを話そうと思います。 1990年のドラフトで、僕は指名されませんでした。当時は6位までに指名されなかった選手は、「ドラフト外」で自由競争でした。僕は高校通算で35本塁打打っていて、宮崎県のお山の大将で、ドラフトで自分の名前が出ないでショックでした。ドラフト外で日本ハムに入団する時に、スカウトから「入ったら横一線だから。プロの世界は自分が頑張って結果を残せば、一軍に上がって大変な給料がもらえる」と言われました。 でも入ってみるとちょっと違っていた。新人のみなさんはキャンプを1か月やって、「これならやれるな」と思った人と、「すごい、ついていけないかも」と思った人がいるでしょう。僕はキャンプ初日にシートノックでボー
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