領土と外交に関するwerdyのブックマーク (2)
-
北方領土。 それは先の大戦後、70年たっても解決しない、日本の重要な外交課題。 その課題に挑んできた一家がいる。 河野一郎、洋平、そして太郎。 三代にわたって、ソビエト、そしてロシアと渡り合ってきた。 時に称えられ、時に失望され、一進一退を繰り返す外交という名の攻防。 いま、改めて北方領土の帰趨︵きすう︶が注目されるなか、その行方を占うためにも、三代にわたる交渉史をひもとく。 ︵政治部・外務省担当 奥住憲史︶ ﹁俺に何かあった時には…﹂ ﹁当時、日ソ間には国交が無いため大使館も無い。情報が無い中での交渉はものすごいプレッシャーだったと思う﹂2月26日、都内でNHKのインタビューに応じた河野洋平・元衆議院議長︵82︶は、かつてソビエトと激しい交渉に当たった父、一郎の姿をこう振り返った。 時は1956年。 洋平はまだ19歳の学生だったが、出発前の父の姿を今もはっきりと覚えている。 ﹁おやじに
-
日本領海内である尖閣諸島周辺で7日海上保安庁・巡視船に中国漁船が衝突し、公務執行妨害の疑いで逮捕・送検・拘留されていた詹其雄(41)船長について、那覇地検は今日、処分保留の釈放を決定した。理由は、﹁船長がとった行動に計画性は認められず、我が国の国民への影響や今後の日中関係を考慮した﹂︵参照︶とのことで地検が外交関係に配慮したことを明確に示した。釈放時期は未定だが早急に実施されることだろう。 司法が外交に言及するなど、通常なら余計なことを口にして愚かなことだと見られがちだが、今回の地検対応はそれなりの意味がある。 日本人の大方の印象は理不尽な中国の圧力に屈した菅政権の弱腰外交の影響を見ることだろう。この数日、中国側は詹船長釈放に向けてかなりの圧力をかけていたことがどうしても背景に見られてしまう。 国連総会出席で訪米した温首相はニューヨークの在米華人会合で﹁必要な対抗措置をとらざるをえない﹂︵
-
1