ポケモンライクでArkライクなパルワールドがなんか揉めてる一方で くにおくんライクで龍が如くライクなFading Afternoonは無風 そんなに大ヒットしたわけでもないからか 作者はロシア人で、くにおくんとの出会いは割れだったと堂々と明かしている 家に不良たちがやってきてリンチでも受けるかと怯えていたら、くにおくんの違法コピーディスクを渡されてそれでハマったという 日本製ゲームを違法コピーして売るのが悪ガキの小遣い稼ぎの定番だったため作者も同じ道に染まっていく くにおくんの二次創作ゲームづくりをするうちに既存素材を使わないオリジナル作品も制作するように Fading Afternoonの主人公は10年の刑期を終えてシャバに戻ったヤクザ 組は衰退しシマの多くが奪われているが、素手格闘でも十分強い上に日本刀でも銃でも使いこなす主人公が暴れまわることで取り戻せる でも主人公は死病を患っており
私が最初に「ポリティカルコレクトネス」という言葉を知ったのは、たしか「ベイマックス」が上映していた頃だったと思う。 この映画はポリティカルコレクトネスに沿った描写がこんなにあって、多様性が尊重されており素晴らしい!と作品を褒める文脈で使われていた。 その時は、とても良い概念だなあ、と思ったのだ。「作者が自作に対して自発的に用いるガイドライン」だと思っていたから。 たとえば、今まで手癖でなんとなく描いていた描写や設定について、一旦立ち止まって、こうすればより多様性のある表現になるのでは?と考えてみる。 考えてみて、元の描写の方がいいな、と作者が思えば、それはそれでいい。その理由が「なんとなくこっちの方が好き、収まりがいい」程度であっても。 そういう風に使われて、外野としてはポリコレに沿った描写があればプラス評価する、そういうものだと思っていたし、そうであって欲しかった。 だって、世の中にある
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