消費に関するyomikのブックマーク (3)
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最近、同じような話を複数の場所でする機会がありました。それは、物事を好きといった時に、消費者としての﹁好き﹂と生産者としての﹁好き﹂は違いますね、といった話です。 好きだというから任せてみたら、萎えてしまった人の話 あるところで、﹁スポーツイベントが好きだ﹂と言う人にスポーツのイベントを作ってもらったら、﹁やりたかった事と違う﹂と言い出したというのです。イベントの主催者からすれば、やりたいと言う人にチャンスを与えたが、途中で﹁萎えてしまった﹂と捉えました。主催者からすれば﹁好きではなかったのだろう﹂という印象を持ったということです。 では、この人はスポーツイベントが好きではなかったのでしょうか? 多分、﹁参加するのが好き﹂だというのは嘘ではないと思います。しかし、﹁作る側に回る﹂ほどではなかったのでしょう。 これが、スポーツそのものであった場合には、簡単にわかる事です。サッカーを見る事と、
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朝起きてテレビをつけたら、﹁ブラック企業﹂について特集をしていました。 折しも、就職活動が解禁になって、日本維新の党が﹁最低賃金基準廃止﹂を掲げたり、ちょうど労働に関しての議論が活発になってる時期のようです。 私も自身の経験から社会の労働環境についての疑問を感じない時がありません。特にid:dennou_kurageさんの脱社畜ブログ(必読!)をいつも拝読して勉強させていただきながら、日々、色々と考えています。 そこにきたせっかくの﹁労働議論ブーム﹂、よい機会ですので、ちょっと私の労働観についてもご紹介していきたいなと思います。 ◆ まず、お話は表題のこの言葉から始めます。 過労死するほど仕事があって、自殺するほど仕事が無い 仕事が山のようにあって、延々働かされて過労死してしまう人が居る一方で、仕事が欲しいのに就職がどこにも決まらなくて疲れ果てて自殺してしまう人も居る、そんな世の中の矛盾を
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前二回に渡って﹁労働豊作貧乏﹂についてのお話をしてきました。まだこの問題についての議論の続きはたんまりあるのですけれど、今回はちょっと脱線です。 前回、文中で﹁第二次世界大戦は工業の戦争でした﹂と、サラリと述べましたのですが、この﹁産業と戦争の関係の歴史﹂というテーマ、実は非常に興味深いところなんです。是非、皆さんとも一緒に共有したいので、コラム的にちょっと見て行きたいと思います。 前回までの﹁労働豊作貧乏﹂シリーズ記事 ①過労死するほど仕事があって、自殺するほど仕事が無い - 雪見、月見、花見。 ②今、社会が労働豊作貧乏時代になっているワケ - 雪見、月見、花見。 ・・・ということで、またタイムスリップの準備をお願いします!︵えーっ︶ *農業の戦争 戦争を﹁人と人とが争うもの﹂と定義すると、最初の戦争は﹁農業の戦争﹂として始まります︵ですから、狩猟時代は人と動物の戦争とも言えます︶。 前
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