訃報に関するyotayotaahiruのブックマーク (2)
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本日,未明,公陳丸の体調が急変した。老齢で体力は落ちていたが,食欲は3日前まではそこそこはあった。急に内蔵不全が進み,昨日の点滴や抗生剤の注射などの治療も虚しく,1ヶ月移譲前から,ワイフと一つ部屋,僅かなペントスペース付きのワンルームマンションで彼とワイフと同居していたときと同じ状況に戻し,最期,ワイフに看取られて,静かに旅立った。 ワイフと彼の軀を整え,一通り算段して,一旦,うとうとしていた早朝,チコではなく次男の泣き声で再び目が覚めた。そうか,お母さんに教えて貰ったか。長男には,ぎりぎり彼が逝ってしまう前に先に教えて覚悟させてあった。末っ子は,ショックを受けていたが,長男同様,既に受け入れている状況。 ずっと,彼が戻ってこないなんてことはないと信じるために,全員普段通り普通にやっていたが,彼は,次の旅先を決めてしまったようだ。 彼を連れたワイフが私と出会い,息子たちが次々生まれて家族に
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日本独特のダンス﹁舞踏﹂の創始者の一人で、90歳を超えて現役で踊り続けた大野一雄(おおのかずお)さんが1日午後4時38分、呼吸不全のため亡くなった。103歳。 葬儀は近親者で行い、後日お別れの会を開く。喪主は次男の舞踏家、慶人(よしと)さん。 北海道函館市出身。1929年にスペインの舞姫、アルヘンチーナの来日公演に衝撃を受け、ダンスを始めた。その後、召集されて中国・南方戦線で多くの死を目撃。﹁死と再生﹂は後の主要モチーフとなった。 復員後、49年に初リサイタル。50年代後半から前衛舞踊家の土方巽(ひじかたたつみ)と組んで実験的な作品の発表を続け、白塗り、緩慢な動き、すり足などを特色とする舞踏を創出した。77年にアルヘンチーナをたたえる﹁ラ・アルヘンチーナ頌(しょう)﹂を完成。さらに﹁わたしのお母さん﹂﹁死海﹂﹁睡蓮(すいれん)﹂﹁花鳥風月﹂などを発表した。 国際的に認められたのは8
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