ネットジャーゴンとしての「ハイエース(する)」という言葉の取り扱いについて、「ネット(の一部)は独り言を言ってもいいし、内輪のノリで話してもいい場所だったはず」という感想を見たんだけど、バイト先でやったはちゃめちゃの写真をネットに上げて炎上した人たちもたぶん同じ感覚だったんだよな
「ピンチはチャンス」論法 1944年、東条英機の場合 たとえば、東条英機は1944年7月のサイパン島陥落後にこう述べている。 「正に、帝国は、曠古の(前例のない)重大局面に立つに至つたのである。しかして、今こそ、敵を撃滅して、勝を決するの絶好の機会である」 そこまでいうならば、なにか特別な秘策があるのかと思ってしまう。だが、続く箇所を読むと、それが空虚な精神論にすぎないことがわかる。 東条英機 ©AFLO 「この秋(とき)に方(あた)り皇国護持のため、我々の進むべき途は唯一つである。心中一片の妄想なく、眼中一介の死生なく、幾多の戦友並びに同胞の鮮血によつて得たる戦訓を活かし、全力を挙げて、速かに敵を撃摧し、勝利を獲得するばかりである」(『週報』1944年7月19日号) 同じような例は枚挙にいとまがない。いわく、本土に戦線が近づいたので有利。いわく、空襲で日本人の覚悟が固まったので有利――。
私には「90年代サブカルスイッチ」というものがあって、そのスイッチを押すと、すべてに鈍感になり、普段「人権」とか言っている自分がどこかにすっ飛んでしまうような感覚がある。そのスイッチはやはり90年代に私に搭載されたもので、普段はそんなものがあるなんて忘れているものの、ふとしたキーワードで自分でも知らないうちに起動する。 最近、気づいた。セクハラしたり性犯罪に手を染める男性の中には、私にとっての「サブカルスイッチ」が入った状態の人もいるんじゃないかって。 例えば数年前、こんなことがあった。 当時、『テレクラキャノンボール』という映画がヒットしていて、私の周りの同世代のサブカル好きはみんながみんな見に行き、絶賛していた。どんな映画なのか。アマゾンの商品紹介には、以下のように説明がある。 「東京から札幌までを車やバイクで移動しながら各種出会い系を駆使して現地素人をハメ倒すAVを超えた痛快セックス
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く