あとで読むとフミコフミオに関するyuzuk45のブックマーク (2)
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昨年末に体調を崩して入院していた祖父が亡くなった。危篤の連絡を受けたとき、僕は仕事で都内にいて急遽駆けつけたが臨終には間に合わなかった。暖かくなるにつれ、体調も安定して、もうすぐ家に戻れると家族みんなで喜んでいた矢先だった。 僕は祖父に伝えるべき言葉を見つけられなかった。日に日に回復しているようにしか見えなかったので、感謝なのか、惜別なのか、わからないけれど僕は祖父に言うチャンスを失ってしまったのだ。尤も百歳という年齢のために手術が出来ず緩やかに死に向かっているのはわかっていた。でも、そんな現実をまえにしても百年続いた命がパッと消えてしまうようなことはないんじゃね?という変な確信があったのだ。 ﹁棺桶にいれるとき釘は打たないでくれ。うるさくてかなわない﹂﹁ソンビになって出てこられても困るからさ釘はうつよ。また来るよ。じゃ﹂こんなどうでもいいやり取りが最後だった。その後、仕事が忙しくなり病院
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今年の部長は不幸つづきです。父。母。弟。義父。義母。従兄弟。多くの親族が亡くなり、それを理由に会社を休んでいます。従兄弟は僕が知っているだけで四人、義理の母上様は三回は亡くなっています。複雑な家庭環境なのでしょうか。義理の母上様はゾンビなのでしょうか。 部長の家の前で大型タンクローリーが大破炎上したこともありました。部長の家の前を走る幅3メートルほどの片道一車線で、タンクローリーが大爆発して炎上、危なくて家から出られないといい、部長は会社を休んだのです。タンクローリーが燃える音なのでしょう、ジャンジャンバリバリ、遊戯施設のような雑音のする電話で部長の話を受けたのは僕ですから、昨日のことのようにおぼえています。ジャンジャンバリバリ。タンクローリーはその後も二回、爆発し、部長は二日休みました。 あるとき、親族の葬儀に参加した不幸な部長の休み明けに、心の優しい僕が気をつかって﹁お気の毒でしたね。
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