今は昔、曝衣の月︵二月︶の初午の日は、京中のあらゆる階層の人が伏見の稲荷神社へお参りした。なかでも例年より多くの人がお参りした年があった。その日に、近衛の舎人たちもお参りをした。
某兼時、下野公助、茨田重方、秦武員、茨田爲國、輕部公友などといった舎人たちが、餌袋・破子・酒などを持たせて、列をなしてお参りするうち、中の社に近づくにつれて、参る人と帰る人とが雑踏するなかに、派手な服装をした女が近づいてきた。濃い色合いの上着に紅梅、萌黄などの着物を重ね着て、なまめかしい様子で歩いている。
女は舎人たちに気づくと、立ち退いて木の陰に身を寄せたが、舎人たちはふざけた言葉を言いかけたり、女の顔を覗き込んだりした。その中に重方は、もとより好色な男で、そのことを妻からとがめられていたほどだが、一人だけ仲間から離れて立ち止まり、女に近づいていい語らったところ、女は﹁奥方がありながら、いきずりの女を口説くなんて、はしたないことですよ﹂とたしなめた。その言い方がいかにもなまめかしい。
﹁わしはある女を妻にしているが、顔はサルのように不細工で、心がけもよろしくないゆえ、分かれたいと思っておるのじゃが、急に一人になっては、衣のほころびもつくろえぬゆえ、いい人が現れたら、その人に乗り移ろうと思っておったのじゃ、﹂
重方がこういうと、女は
﹁それは本気ですの、それとも戯れですの﹂という、そこで重方は
﹁この神社の神様もお聞きください、年来思っていたとおりの美しい人を、神様が賜れたと思うとうれしくてなりませぬ、さてそなたはまだお一人か、どういう暮らしてなされておられる﹂といった。
女は﹁独り身でこのお社にお勤めしていましたところ、夫ができましたのでお勤めをやめましたが、夫が田舎でなくなりましたので、この3年の間、いい再婚の口を求めて、このお社に来るようになりました、ほんとに私を愛してくださるなら、住所をもお知らせしましょう、いいえ、とんだ愚痴をお聞かせしました、どうぞ行ってください、わたしも行くことにします﹂といって、行き過ぎようとした。
重方は手を摺って額にあて、女の胸に烏帽子を差し宛てて、
﹁どうかつれないことをいわないでください、このままそなたと一緒になって、妻のところには二度とは参らぬ覚悟﹂といいながら、顔をうつぶせたところ、女は重方の髻を烏帽子ごしにつかんで、重方の頬をぴしゃりと叩いたのであった。
重方はびっくりして﹁何をするのじゃ﹂と叫びながら女の顔を見た。なんとそれはほかならぬ妻の顔ではないか。だまされていたと知った重方は、﹁お前はものに狂ったのか﹂と叫んだ。
女は、﹁あんたは何でこんな後ろめたいことをなさるのじゃ、あんたのお仲間が、あんたのことを浮気ばかりしていると告げ口に来ても、わたしにやきもちを焼かせるためのはかりごとと思って信じませんでしたが、そのとおりだったんですね、よくもいってくれました、これから私のところに現れたら、神様の罰があたるものと思いなさい、なんでこんな馬鹿げたことをいうのですか、えい、ほっぺたを抉り取って物笑いの種にしてやる﹂とののしった。
重方は、﹁そお、怒り狂うでない、もっともなことじゃが﹂と苦笑いをしたが、女が許してくれるものではない。
そのうちほかの舎人たちは、この様子に気づかぬまま上の岸に立って
﹁どうして茨田君は遅れているのじゃ﹂といいつつ見返せば、重方は女と取っ組み合いの喧嘩をしている。﹁いったい何をしているのじゃ﹂と、舎人たちが近づき見ると、重方は妻に打ちのめされているのだった。
﹁よくぞおやりなさった、私たちが年来申し上げてきたとおりでしょう、﹂と舎人たちがいうと、女は
﹁この人たちが証人です、あんたの浮気心がはっきりとわかりました﹂といって、重方の髻を離したので、重方はくしゃくしゃになった烏帽子をつくろいながら上のほうへ逃げていった。
妻のほうは﹁どこでも好きな女の所に行きなさい、私のところに現れたら、足をへし折ってやりますから﹂といって、下の方へ去っていった。
その後、そうはいっても、重方が謝ったことで、妻の機嫌も直った。重方が
﹁お前は重方の女房だから、あんな手柄も立てられたのだ﹂というと、妻は
﹁ばからしい、人の顔を見ても誰だかわからず、人の声を聞いても誰の声かわからず、馬鹿げた振る舞いをして笑われるのは、とんだ馬鹿者ですよ﹂と笑ったのだった。その後このことは世に聞こえるところとなり、若い君達の笑いぐさになったので、重方は若い君達を見ると、こそこそと逃げ隠れたのであった。
この妻は重方が死んだ後、かなりの年配で再婚したということである。
今昔物語集巻二十八は副題を﹁世俗﹂としているが、中身は各種の機知・滑稽譚であって、柳田国男翁がいうところの﹁ヲコの文学﹂のはしりともいうべきものである。 巻頭を飾るこの物語は、初午の縁日に遊びに出かけた近衞舎人の一行の一人が、美しい女をみて言い寄ったところ、その女が実は自分の妻だったという笑い話である。 近衞舎人は宮中警護の武官で、色男の代名詞のように思われていたのであろう。その一人が自分も色男であると自慢し、どんな女もなびくに違いないという自惚れから、美しい女にずうずうしく言い寄る。ところがその女から手痛く打たれるが、それも道理、女は妻だったのだ。 男のヲコぶりと、女の逞しさが対比されて、笑いを呼ぶ。それにしても、自分の妻の顔も識別できぬとは、間抜けも極まれりというべきだろう。
今は昔、衣曝の始午の日は、昔より京中に上中下の人、稲荷詣とて參り集ふの日なり。其れに、例よりは人多く詣でける年有りけり。其の日近衞官の舎人共參りけり。□兼時、下野公助、茨田重方、秦武員、茨田爲國、輕部公友など云ふ止事無き舎人共、餌袋・破子・酒など持たせ、列りて參りけるに、中の御社近く成る程に、參る人、返る人、樣々行き違ひけるに、艶ず裝ぞきたる女會ひたり。濃き打ちたる上着に、紅梅、萌黄など重ね着て、生めかしく歩びたり。 此の舎人共の來たれば、女立ち去きて、木の本に立ち隠れて立ちたるを、此の舎人共安からず可咲しき事共を云ひ懸けて、或はして女の顔を見むとして過ぎ持行くに、重方は本より色々しき心有りける者なれば、妻も常に云ひ妬みけるを、然らぬ由を云ひ戰ひてぞ過ぐしける者なれば、重方、中に勝れて立ち留まりて、此の女に目を付けて行く程に、近く寄りて細かに語らふを、女の答ふる樣、﹁人持ち給へらむ人の、行摺の打付心に宣はむ事、聞かむこそ可咲しけれ﹂と云ふ音、極めて愛敬付きたり。 重方が云はく、﹁我が君我が君、賤しの者持ちて侍れども、しや顔は猿の樣にて、心は販婦にて有れば、去りなむと思へども、忽ちに綻縫ふべき人も無からむが惡しければ、心付に見えむ人に見合はば、其れに引き移りなむと深く思ふ事にて、此く聞ゆるなり﹂と云へば、女、﹁此は實言を宣ふか、戯言を宣ふか﹂と問へば、重方、﹁此の御社の神も聞食せ。年來思ふ事を、此く參る驗有りて、神の給ひたると思へば、極じくなむ喜しき。然て、御前は寡にて御するか。亦何しに御する人ぞ﹂と問へば、女、﹁此こにも、指せる男も侍らずして宮仕をなむせしを、人制せしかば參らずなりしに、其の人田舎にて失せにしかば、此の三年は相憑む人もがなと思ひて、此の御社にも參りたるなり。實に思ひ給ふ事ならば、有所をも知らせ奉らむ。いでや、行摺の人の宣はむ事を憑むこそ嗚呼なれ。早く御しね。丸も罷りなむ﹂と云ひて、只行きに過ぐれば、重方、手を摺りて額に宛てて、女の胸をする許に烏帽子を差し宛てて、﹁御神助け給へ。此かる侘しき事な聞かせ給ひそ。やがて此れより參りて、宿には亦足踏み入れじ﹂と云ひて、うつぶして念じ入りたる髻を、烏帽子超に此の女ひたと取りて、重方が頬を山響く許に打つ。 其の時に重方奇異しく思えて、﹁此は何にし給ふぞ﹂と云ひて、仰ぎて女の顔を見れば、早う我が妻の奴の謀りたるなりけり。重方奇異しく思えて、﹁和御許は物に狂ふか﹂と云へば、女、﹁己れは何で此く後目た無き心は仕ふぞ。此の主達の、後目た無き奴ぞと來つつ告ぐれば、我れを云ひ腹立てむと云ふなめりと思ひてこそ信ぜざりつるを、實を告ぐるにこそ有りけれ。己れ云ひつる樣に、今日より我が許に來たらば、此の御社の御箭目負ひなむ物ぞ。何で此くは云ふぞ。しや頬打ち欠きて、行來の人に見せて咲はせむと思ふぞ、己れよ﹂と云へば、重方、﹁物にな狂ひそ。尤も理なり﹂と咲ひつつ云へども、露許さず。 而る間、異舎人共、此の事を知らずして、上の岸に登り立ちて、﹁何ど田府生は送れたるぞ﹂と云ひて見返りたれば、女と取り組みて立てり。舎人共、﹁彼れは何に爲る事ぞ﹂と云ひて、立ち返りて寄りて見れば、妻に打ち□れて立ちけり。其の時、舎人共、﹁吉くし給へり。然ればこそ年來は申しつれ﹂と讃め罵る時に、女、此く云はれて、﹁此の主達の見るに、此く己れがしや心は見顕はす﹂と云ひて、髻を免したれば、重方、烏帽子の萎えたる、引き疏ひなどして、上樣へ參りぬ。女は重方に、﹁己れは其の假借しつる女の許に行け。我が許に來ては、必ずしや足打ち折りてむ物ぞ﹂と云ひて、下樣へ行きにけり。 然て、其の後、然こそ云ひつれども、重方、家に返り來てあやまりければ、妻、腹居にければ、重方が云はく、﹁己れは尚、重方が妻なれば、此く嚴しき態はしたるなり﹂と云ひければ、妻、﹁穴鎌、此の白物。目盲の樣に人の氣色をも否見知らず、音をも否聞き知らで、嗚呼を涼して人に咲はるるは、極じき白事には非ずや﹂と云ひてぞ、妻にも咲はれける。其の後、此の事世に聞えて、若き君達などに吉く咲はれければ、若き君達の見ゆる所には、重方逃げ隠れなむしける。 其の妻、重方失せける後には、年も長に成りて、人の妻に成りてぞ有りけるとなむ、語り傳へたるとや。
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今昔物語集巻二十八は副題を﹁世俗﹂としているが、中身は各種の機知・滑稽譚であって、柳田国男翁がいうところの﹁ヲコの文学﹂のはしりともいうべきものである。 巻頭を飾るこの物語は、初午の縁日に遊びに出かけた近衞舎人の一行の一人が、美しい女をみて言い寄ったところ、その女が実は自分の妻だったという笑い話である。 近衞舎人は宮中警護の武官で、色男の代名詞のように思われていたのであろう。その一人が自分も色男であると自慢し、どんな女もなびくに違いないという自惚れから、美しい女にずうずうしく言い寄る。ところがその女から手痛く打たれるが、それも道理、女は妻だったのだ。 男のヲコぶりと、女の逞しさが対比されて、笑いを呼ぶ。それにしても、自分の妻の顔も識別できぬとは、間抜けも極まれりというべきだろう。
今は昔、衣曝の始午の日は、昔より京中に上中下の人、稲荷詣とて參り集ふの日なり。其れに、例よりは人多く詣でける年有りけり。其の日近衞官の舎人共參りけり。□兼時、下野公助、茨田重方、秦武員、茨田爲國、輕部公友など云ふ止事無き舎人共、餌袋・破子・酒など持たせ、列りて參りけるに、中の御社近く成る程に、參る人、返る人、樣々行き違ひけるに、艶ず裝ぞきたる女會ひたり。濃き打ちたる上着に、紅梅、萌黄など重ね着て、生めかしく歩びたり。 此の舎人共の來たれば、女立ち去きて、木の本に立ち隠れて立ちたるを、此の舎人共安からず可咲しき事共を云ひ懸けて、或はして女の顔を見むとして過ぎ持行くに、重方は本より色々しき心有りける者なれば、妻も常に云ひ妬みけるを、然らぬ由を云ひ戰ひてぞ過ぐしける者なれば、重方、中に勝れて立ち留まりて、此の女に目を付けて行く程に、近く寄りて細かに語らふを、女の答ふる樣、﹁人持ち給へらむ人の、行摺の打付心に宣はむ事、聞かむこそ可咲しけれ﹂と云ふ音、極めて愛敬付きたり。 重方が云はく、﹁我が君我が君、賤しの者持ちて侍れども、しや顔は猿の樣にて、心は販婦にて有れば、去りなむと思へども、忽ちに綻縫ふべき人も無からむが惡しければ、心付に見えむ人に見合はば、其れに引き移りなむと深く思ふ事にて、此く聞ゆるなり﹂と云へば、女、﹁此は實言を宣ふか、戯言を宣ふか﹂と問へば、重方、﹁此の御社の神も聞食せ。年來思ふ事を、此く參る驗有りて、神の給ひたると思へば、極じくなむ喜しき。然て、御前は寡にて御するか。亦何しに御する人ぞ﹂と問へば、女、﹁此こにも、指せる男も侍らずして宮仕をなむせしを、人制せしかば參らずなりしに、其の人田舎にて失せにしかば、此の三年は相憑む人もがなと思ひて、此の御社にも參りたるなり。實に思ひ給ふ事ならば、有所をも知らせ奉らむ。いでや、行摺の人の宣はむ事を憑むこそ嗚呼なれ。早く御しね。丸も罷りなむ﹂と云ひて、只行きに過ぐれば、重方、手を摺りて額に宛てて、女の胸をする許に烏帽子を差し宛てて、﹁御神助け給へ。此かる侘しき事な聞かせ給ひそ。やがて此れより參りて、宿には亦足踏み入れじ﹂と云ひて、うつぶして念じ入りたる髻を、烏帽子超に此の女ひたと取りて、重方が頬を山響く許に打つ。 其の時に重方奇異しく思えて、﹁此は何にし給ふぞ﹂と云ひて、仰ぎて女の顔を見れば、早う我が妻の奴の謀りたるなりけり。重方奇異しく思えて、﹁和御許は物に狂ふか﹂と云へば、女、﹁己れは何で此く後目た無き心は仕ふぞ。此の主達の、後目た無き奴ぞと來つつ告ぐれば、我れを云ひ腹立てむと云ふなめりと思ひてこそ信ぜざりつるを、實を告ぐるにこそ有りけれ。己れ云ひつる樣に、今日より我が許に來たらば、此の御社の御箭目負ひなむ物ぞ。何で此くは云ふぞ。しや頬打ち欠きて、行來の人に見せて咲はせむと思ふぞ、己れよ﹂と云へば、重方、﹁物にな狂ひそ。尤も理なり﹂と咲ひつつ云へども、露許さず。 而る間、異舎人共、此の事を知らずして、上の岸に登り立ちて、﹁何ど田府生は送れたるぞ﹂と云ひて見返りたれば、女と取り組みて立てり。舎人共、﹁彼れは何に爲る事ぞ﹂と云ひて、立ち返りて寄りて見れば、妻に打ち□れて立ちけり。其の時、舎人共、﹁吉くし給へり。然ればこそ年來は申しつれ﹂と讃め罵る時に、女、此く云はれて、﹁此の主達の見るに、此く己れがしや心は見顕はす﹂と云ひて、髻を免したれば、重方、烏帽子の萎えたる、引き疏ひなどして、上樣へ參りぬ。女は重方に、﹁己れは其の假借しつる女の許に行け。我が許に來ては、必ずしや足打ち折りてむ物ぞ﹂と云ひて、下樣へ行きにけり。 然て、其の後、然こそ云ひつれども、重方、家に返り來てあやまりければ、妻、腹居にければ、重方が云はく、﹁己れは尚、重方が妻なれば、此く嚴しき態はしたるなり﹂と云ひければ、妻、﹁穴鎌、此の白物。目盲の樣に人の氣色をも否見知らず、音をも否聞き知らで、嗚呼を涼して人に咲はるるは、極じき白事には非ずや﹂と云ひてぞ、妻にも咲はれける。其の後、此の事世に聞えて、若き君達などに吉く咲はれければ、若き君達の見ゆる所には、重方逃げ隠れなむしける。 其の妻、重方失せける後には、年も長に成りて、人の妻に成りてぞ有りけるとなむ、語り傳へたるとや。
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