ヤフー勤務、政府CIO補佐官、大学講師 楠正憲
1977年生まれ、36歳。中学で留年し、高校を中退後、大検を取得。浪人中から秋葉原に入り浸り人脈を築く。神奈川大学経済学部在学中よりさまざまなIT系の仕事を経験。1998年2月、学生のままインターネット総合研究所に入社。2002年10月、マイクロソフト︵現、日本マイクロソフト︶に入社。2012年7月よりヤフー。現在は同社ID本部長。政府CIO補佐官、東京大学、九州大学の大学院非常勤講師などを兼任。
1995年、秋葉原。そこに楠正憲は入り浸っていた。中学で留年し、高校は1年で中退。大学入学資格検定︵大検︶を取得して大学受験に挑んだが失敗し、浪人中だった。常識的な大人の目からは“落ちこぼれ”の若者に見えていたかもしれない。だが、当時の秋葉原は、まだ何者でもない若者が自分の力でチャンスを掴める場所だったのだ。 それから20年近く経った。現在の楠の職業を一言で説明するのは難しい。ヤフーの要職に就くかたわら、政府CIO補佐官を務める非常勤国家公務員でもあり、東京大学大学院などで講義を受け持つ大学講師でもある。今回は、そんな楠の複線キャリアの秘密を探るため、所属組織の肩書きを外した個人として、話を聞くことにした。 楠は曲がりくねった道を歩いてきた。その足跡からは、時代の変化、それもインターネット台頭期の激動という巨大な変化の中で、精一杯にもがき続ける個人の姿が浮かび上がってくる。楠の現在の職業は、変化の節目節目で彼が下してきた判断が、大筋では的確だったことを示しているといえるだろう。それでは一体、どのような節目があったのか。
話を1995年に戻そう。楠は、秋葉原にあった日立ソフトエンジニアリング︵現在は日立ソリューションズ︶のショールームに入り浸っていた。﹁ネットが使い放題、コーヒー飲み放題だった﹂ことが理由だ。そのうちに、ショールームで実施するデモの一部を楠が担当するようになった。大事な顧客相手のデモが必要なときは、事前に﹁予定は空いてる?﹂と声がかかることもあった。 ショールームで出会った大人たちから、楠は仕事を打診されるようになる。1996年には神奈川大学に進学した。仕事を打診してくれた大人たちからは﹁君がどこかの大学に入るまでは発注できない﹂と言われていた。なるほど、浪人生のまま依頼されるままに仕事を引き受けていたら、それに没頭して大学進学のチャンスを逃していたかもしれない。周囲の大人たちは、それぐらいの配慮はしてくれた。 大学1年生の時からフリーランスとして活動した。最初に取り組んだのはライターの仕事だ。企業の受託調査の仕事もした。未成年だったので直接契約を結べず、間に入ってもらう会社を探した。それでも、契約書のレビューは自分でやった。NTT研究所のアルバイトや、秋葉原のパソコンショップの店番もした。 インターネットの爆発的な普及の時期である。新しい産業が立ち上がり、さまざまな企業が同時並行的にインターネットビジネスに取り組み、そして数年後にはネットバブルがやってくる──そんな世界に、楠は身一つで飛び込んでいった。
1998年、まだ大学2年生だったが、設立間もないベンチャー企業だったインターネット総合研究所に入社する。その経緯も普通ではない。 当時の楠は、日本ビクターの子会社のEコマース系システムの構築に関わっていた。ユーザー企業に協力するフリーランスの立場で、インターネット総合研究所のコンサルタントと丁々発止とやりあっていた。すると先方から﹁遊びにおいで﹂と言われたのだ。 ﹁真に受けて、遊びのつもりで行ったら、それが面接でした﹂ この時、当時インターネット総合研究所の副所長を務めていた大和田廣樹︵現、株式会社ドリームキッド代表取締役社長︶は、楠に向かってこう誘った。﹁君はひとりで背伸びするんじゃなくて、ちゃんと先輩の背中を見て働いた方が大きな仕事ができる﹂入ってしばらく経ってから﹁君の仕事をみていて、赤子の手をひねるような小遣い稼ぎをやっている。そういうこと事ばかりやっているとダメになると心配して声をかけた﹂といわれた。 学生兼フリーランスの立場だったが、受託調査やWeb構築案件などの依頼には責任感をもって取り組んでいるとの自負があった。だが、﹁頼られる立場﹂で、自分の実力で確実にこなせる仕事ばかりしていたのでは、大和田が言うように能力が伸び悩むだろうとの思いもあった。 フリーランスから社員になれば収入はむしろ減るかもしれないが、会社組織の一員になった方が自分を成長させる機会を得られる場合もあるだろう──そう考えた楠はインターネット総合研究所に入社することを決意した。﹁それにしても、よく︵大学の︶学部生を採ったと思いますけど﹂と楠は笑う。 こうして楠は在学のままインターネット総合研究所の社員となった。ネットバブルの狂騒の直前のことである。この後の楠がたどった道は、やはり普通ではなかった。
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