﹁コンテンツビジネスの担い手として青空文庫が機能しているということをよく耳にするのですが、富田は障害者手帳を所持していました。そのような人におんぶにだっこというのは恥ずかしいことだと思います。自分たちでどうにかしようと考えて頂きたい﹂
2013年01月01日﹁春を待つ冬芽﹂において、以下のように富田さんは書き残しています。
電子書籍の専門ストアーに、青空文庫のファイルが移されると、﹁収録冊数の水増し﹂となじる声が上がった。仲間内では、以来、青空文庫を﹁水﹂と呼ぶことが流行った。
私たちの活動の目的は、著作権の切れた作品を、使い回しの効くテキストに仕立てて、社会の資源として利用してもらうことだ。四方八方に流れて、そこで人を潤そうと目指すのだから、水は青空文庫のあり方にふさわしい。
電子書籍をビジネスとして離陸させるために、サンプルとして青空文庫の書籍を使う。その企画が実行されたことにより、青空文庫はボランティアベースを離れて社会の資源になったのだと思っています。そして、電子書籍は実際にビジネスとして離陸していきました。kindle・kobo・readerがそれぞれ争いを繰り広げていますが、その基盤として青空文庫があったことは事実なのです。
奥様の立場からですと、長年C型肝炎及びガンと闘う姿をそばで支えてこられたわけですから、﹁恥ずかしいと思いませんか﹂というお気持ちは当然なのだと思います。
で、その帰り道、その言葉を中心に考えてみた結果、冒頭の文章﹁青空文庫はそろそろ富田倫生さんから切り離すべき﹂にたどり着いたわけです。
要点は二つあります。
●青空文庫が体現する思想を﹁富田倫生さんとは切り離した形で﹂提示する。
●青空文庫の代表世話人を出来るだけ早く提示する。
青空文庫を語ろうとすると、富田倫生さんが現状ではほぼイコールで結ばれてきます。富田倫生さんを語ろうとしても、青空文庫とほぼイコールで結ばれる所からスタートします。でも、富田倫生さんの著書﹁パソコン創世記﹂から語る富田倫生さんという姿もあるわけです。そして、周りの方は、お別れ会でのコメントから考えるにそちらの方をメインとして語って欲しいのだと感じました。ならば、青空文庫を語る際に、﹁富田さんという存在とは独立した形で﹂語った方が、生きていく我々のためにいいのではないか、と思います。
現在、青空文庫が目指す目標を挙げたものとして﹁永久機関の夢を見る青空文庫﹂が挙げられています。ウエッブ版公開が2002年4月6日となる古い文書です。ここに挙げられている思想を捨てろとはいいません。別に再度提示したってかまいません。でも、今の現状に即した形で再度書き直したっていいじゃないですか。青空文庫は確かに富田さんだからこそスタート出来た産物ではありますが、富田さんが亡くなられた今、﹁青空文庫ものがたり﹂のように、富田さんとは別の言葉、別の論理で﹁青空文庫とは何か﹂﹁青空文庫はどこを目指すのか﹂を、改めてテキストとして提示してほしい。痛切に思いました。
そして、テキストとは別に、今まで富田さんが担っていた﹁青空文庫の代表兼スポークスマン﹂を、提示した方がいいと思います。
富田さんが語ってきた言葉は、その生涯をバックホーンとして、いろいろな方を引きつけてきました。だからこそ、工作員を引きつけ、著作権保護期間延長を阻止し、追悼シンポジウムやお別れ会に合計で300人近くの人が集まり、ここまでやってこれたのです。
でも、富田さんは亡くなりました。もう取材を受けることもシンポジウムを開いたり発言したりすることもないのです。本の自由を守り、本の未来を語り、青空文庫が何を目指すかを語り、鼓舞し、魅了する人がいてこそ、新たな﹁本の自由﹂が出てきてくれるのだと、私は信じています。
この後は﹁青空文庫にことよせて僕が目指していること﹂を書きたかったのですが、全く別に書き起こした方がすっきりすると思うので、別に機会を改めます。
2013.9.26
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