箕作家
西北條郡津山林田町
箕作︵みつくり︶家は近江源氏佐々木の支流です。佐々木22代高頼の子定頼が箕作山の城主となり、箕作氏を称したのにはじまります。
津山箕作家初代は義林で、津山藩森家2代長継に召しだされて林田︵はいだ︶に居住したのが始まりです。義林妻の実家、神崎家は吉良邸に討ち入りした赤穂浪士の一人神崎与五郎則休の出た家です。
義林の次子貞弁は、箕作家ではじめて津山で町医を開きました。貞弁の子政弁は医業を嗣がなかったので、娘のみきの婿養子貞隆が家督を相続しています。貞隆の実家万波︵まんなみ︶家は和気郡塩田村の郷士で、同郡藤野村の大庄屋万波家の分家になります。
その子貞固は名医の評判が高く、天明2︵1782︶年、松平康哉に藩医として召し出されています。しかし、44歳という働き盛りで世を去り、その医業を嗣ぐ予定で修行をはじめた長男豊順も17歳で早世し、貞固の3男阮甫︵幼名貞一︶が家督を相続することとなりました。
高頼―――――――+―氏綱―――義実
(佐々木22代) |
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+―定頼―――義賢―――義治―――泰秀―――+
(室三木氏) |
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+―――――――――――――――――――――――――――――+
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+―泰連
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+―義林(室神崎氏)―+―義弁
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+―貞弁(室松本氏)―+―政弁
(後室延原氏)|
+―みき
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+―――――――――――+
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万波嘉右衛門俊定―+―貞隆 |
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+―弥平次―俊陳―清子 |
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+―――――――――――――――――――――――――――――――――――+
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+―貞固(室清子、万波氏)――阮甫
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