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真の武士とは

2010年07月06日 00:01

56 1/2[sage] 稿2010/07/05() 10:51:14 ID:IX9IBn7l

















殿



殿

 

57 2/2[sage] 稿2010/07/05() 10:52:25 ID:IX9IBn7l



殿

殿


姿






殿
殿

殿

殿殿

退




58[sage] 稿2010/07/05() 11:46:59 ID:SvVnH6cH


59[sage] 稿2010/07/05() 12:08:48 ID:FMuqBlq7


60[sage] 稿2010/07/05() 15:30:18 ID:YKujBNJX


61[] 稿2010/07/05() 16:01:05 ID:iZN+CThn



62[sage] 稿2010/07/05() 18:31:08 ID:dVyVa2TB




63[sage] 稿2010/07/05() 18:33:37 ID:NlwqhCGD


64[sage] 稿2010/07/05() 18:37:16 ID:ZXOaZrWM




65[sage] 稿2010/07/05() 19:04:25 ID:Qs05bcoI


66[sage] 稿2010/07/05() 19:10:14 ID:O5dzooFn
>>65


67[sage] 稿2010/07/05() 21:57:26 ID:DpvdXPxj




68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/06(火) 00:11:54 ID:VnofGmXb
清々しい話だ。

でもなぜか清正の悪い逸話を思い出してしまった・・・・

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/06(火) 17:24:04 ID:TtkTa3Q5
こういうのって相手の方も「武士は正々堂々としてなきゃ!」というポリシーに理解がないと成立しないから難しいよね

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/06(火) 18:28:08 ID:Cjzn9eGN
いつ死んでもおかしくないから
死んでも悔いが無い生き方がしたいんだろうね


コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

割と流れ人生なのに、
わざわざ名声コレクター秀康の城下に住んでいたのは、
やはり召し抱えられ志望だったのでは?
息子もいたらしいし。

  • 御神楽 | URL | dvUYBDnY

    ちょっとウルッときた。

  • 人間七七四年 | URL | -

    槍先洗ってる間に、後から突くのかと思った俺は駄目人間だな...

  • 人間七七四年 | URL | -

    これはいい話
    しかし青木さんの「上杉にあっても手柄をたてた」というのは、上杉家中にいたんじゃなくて、上杉と戦っての手柄ということでいいんだろうか
    ということは元は柴田の人なのか

  • 人間七七四年 | URL | -

    >>※4
    佐久間盛政→中村一氏→蒲生氏郷→上杉景勝というのが新兵衛の経歴で
    上杉家にいた時、慶長出羽合戦で岡左内・永井善左衛門とともに武勇抜群とされた。

    上杉家の減封後に左内は蒲生家に高禄で帰参、善左衛門は秀康に雇われて槍奉行に
    なってるのに比べて、新兵衛は・・・まあ、そういう人だったんだろう。

  • 人間七七四年 | URL | -

    戦場で馬に乗った侍が、なぜか両者とも供回りを一人も連れない状態で出会い、
    しかも長時間の一騎打ちの最中、誰も邪魔が入らない・・・
    色々不自然な点はあるが・・

  • 人間七七四年 | URL | -

    まさに「灯台下暗し」。お話自体はとても良い物でしたね。
    でも、お隣さん何だから気付けよw


  • 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    ああ、そういう経歴だったのか。サンクス
    しかし佐久間の人だったのか
    賤ヶ岳のとき激戦区っぽいのに、あまり敵のいない方面もあったのか

  • 黙示録774年 | URL | -

    呼び止めた相手がわざわざ自分の勝負にのってくれるとわかった時、あえて自ら背中をさらすのがニクイw

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