「わび・さび」を編集中
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侘は茶の湯の中で理論化されていったが、﹁わび茶﹂という言葉が出来るのも江戸時代である。江戸時代には多くの茶書が著され、それらによって、茶道の根本美意識として侘が位置付けられるようになった。武野紹鷗は侘を﹁正直に慎み深くおごらぬ様﹂と規定している。<ref>桑田忠親﹃日本茶道史﹄p.129-130﹁紹鴎侘びの文﹂より 河原書店、1975年 ISBN 978-4761100575</ref>︵桑田忠親﹃日本茶道史﹄p.129-130﹁紹鷗侘びの文﹂より 河原書店、1975年︶ 一時千利休の秘伝書と目された﹃南方録﹄では、侘が﹁清浄無垢の仏世界﹂<ref name="Na">熊倉功夫﹃現代語訳 南方録﹄中央公論社、2009年 ISBN 978-4120040276</ref>︵前出﹃現代語訳 南方録﹄﹁滅後 二茶の湯の将来﹂p.650︶と示されるまでになる。﹃南方録﹄は全篇で﹁わび茶の心﹂<ref name="Na">熊倉功夫﹃現代語訳 南方録﹄中央公論社、2009年 ISBN 978-4120040276</ref>︵同書﹁はじめに﹂p.1︶が語り続けられているが、その冒頭には、﹁小座敷の茶の湯は第一に仏教の教えをもって修行し悟りをひらくものである。…こういうことは全て釈迦や祖師のやってきた修行であり、そのあとをわれわれが学ぶことである﹂<ref name="Na">熊倉功夫﹃現代語訳 南方録﹄中央公論社、2009年 ISBN 978-4120040276</ref>︵同書﹁覚書 一わび茶の精神﹂p.15︶との利休の言葉が記される。
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侘は茶の湯の中で理論化されていったが、﹁わび茶﹂という言葉が出来るのも江戸時代である。江戸時代には多くの茶書が著され、それらによって、茶道の根本美意識として侘が位置付けられるようになった。武野紹鷗は侘を﹁正直に慎み深くおごらぬ様﹂と規定している。<ref>桑田忠親﹃日本茶道史﹄p.129-130﹁紹鴎侘びの文﹂より 河原書店、1975年 ISBN 978-4761100575</ref>︵桑田忠親﹃日本茶道史﹄p.129-130﹁紹鷗侘びの文﹂より 河原書店、1975年︶ 一時千利休の秘伝書と目された﹃南方録﹄では、侘が﹁清浄無垢の仏世界﹂<ref name="Na">熊倉功夫﹃現代語訳 南方録﹄中央公論社、2009年 ISBN 978-4120040276</ref>︵前出﹃現代語訳 南方録﹄﹁滅後 二茶の湯の将来﹂p.650︶と示されるまでになる。﹃南方録﹄は全篇で﹁わび茶の心﹂<ref name="Na">熊倉功夫﹃現代語訳 南方録﹄中央公論社、2009年 ISBN 978-4120040276</ref>︵同書﹁はじめに﹂p.1︶が語り続けられているが、その冒頭には、﹁小座敷の茶の湯は第一に仏教の教えをもって修行し悟りをひらくものである。…こういうことは全て釈迦や祖師のやってきた修行であり、そのあとをわれわれが学ぶことである﹂<ref name="Na">熊倉功夫﹃現代語訳 南方録﹄中央公論社、2009年 ISBN 978-4120040276</ref>︵同書﹁覚書 一わび茶の精神﹂p.15︶との利休の言葉が記される。
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[[岡倉覚三]](天心)( |
[[岡倉覚三]](天心)(1863-1963)の著書『The Book of Tea(茶の本)』の中では「茶道の根本は‘不完全なもの’を敬う心にあり」<ref>岡倉天心『茶の本 The Book of Tea』p.16 IBCパブリッシング、2008年 ISBN 978-4896846850</ref>と記されている。この“imperfect(不完全なもの)”という表現が侘をよく表していると言える。英語で書かれた同書を通じて侘は世界へと広められ、その結果、日本を代表する美意識として確立されていった。 |
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大正・昭和時代には茶道具が美術作品として評価されるようになり、それに伴って、侘という表現がその造形美を表す言葉として普及した。[[柳宗悦]](1889-1961)や[[久松真一]](1889-1980)などは高麗茶碗などの美を誉める際に侘という言葉をたびたび用いている。<ref>久松真一﹃わびの茶道﹄︵昭和23年講演筆録︶一燈園燈影舎、1987年 ISBN 978-4924520219
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大正・昭和時代には茶道具が美術作品として評価されるようになり、それに伴って、侘という表現がその造形美を表す言葉として普及した。[[柳宗悦]](1889-1961)や[[久松真一]](1889-1980)などは高麗茶碗などの美を誉める際に侘という言葉をたびたび用いている。<ref>久松真一﹃わびの茶道﹄︵昭和23年講演筆録︶一燈園燈影舎、1987年 ISBN 978-4924520219
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