ウラルトゥ
歴史
紀元前1250年ごろのアッシリアの文書は、﹁ウルアトリ︵Uruatri︶﹂または﹁ナイリ︵Nairi︶﹂と呼ばれる民族とのゆるやかな同盟関係に言及している。その民族は、紀元前860年から紀元前830年のあいだに、王アラムあるいはその息子サルドゥル1世のもとで王国を形成した。
ウラルトゥ王国は、最盛期にはアルメニア高原の全域を含み、東は現在のタブリーズを越え、南はティグリス川、西はユーフラテス川の上流域にまで至った。首都は現在のヴァンのあたりに置かれ、トゥシパ︵Tushpa︶と呼ばれた。
ウラルトゥ王国はアッシリアと幾度か戦った。現在知られているウラルトゥについての情報のほとんどは、アッシリアの文書から得られたものである。
ウラルトゥ王国は、キンメリア人やアッシリアの攻撃に苦しんだ。紀元前714年には、ウラルトゥの王ルサ︵Rusa︶がサルゴン2世率いるアッシリア軍に大敗した。紀元前585年にスキタイ人の攻撃によってウラルトゥ王国は滅んだ。その後はこの地にアルメニア人が定住した。
紀元後5世紀ごろ以降、ウラルトゥの存在は忘れ去られていたが、18世紀、19世紀の発掘によって再発見された。
歴代国王
黎明期
拡大期
- サルドゥリ1世(紀元前834‐828年)
- イシュプイニ(紀元前828‐810年)
- メヌア(紀元前820‐785年)
- アルギシュティ1世(紀元前785‐753年)
- サルドゥリ2世(紀元前753‐735年)
- ルサ1世(紀元前735‐714年)