メヌアMenua)は、ウラルトゥの王[1](在位:紀元前810年頃 - 紀元前786年頃)。ウラルトゥ王国をアッシリア帝国に伍するオリエントの大国に成長させた。

メヌア
ウラルトゥ
在位 紀元前810年頃 - 紀元前786年頃

死去 紀元前786年頃
子女 アルギシュティ1世
父親 イシュプイニ
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メヌア時代のウラルトゥの版図(黄色)。紫色はアッシリア帝国の版図

来歴

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10宿[2]西殿


 

使70km15m

1

脚注

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  1. ^ 『アジア歴史事典』第1巻(平凡社、1984年)の「ウラルトゥ王国」項目(執筆者:杉勇)にはメヌアシュ(Menuaš)と表記されている。
  2. ^ 戦いが記録に残っていないというのみで、敵対関係は続いていたと思われる。この平和状態は、アッシリア側でシャムシ・アダド5世の未亡人シャンムラマトが摂政を務めていたことも関係すると思われる。

文献

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  • Пиотровский Б. Б. Ванское царство (Урарту), Издательство Восточной литературы, Москва, 1959

(邦訳)『埋もれた古代王国の謎 幻の国ウラルトゥを探る』(ボリス・ボリソヴィッチ・ピオトロフスキー著 加藤九祚訳 岩波書店) ISBN 9784000001601 (4000001604)

  • Меликишвили Г. А. Урартские клинообразные надписи, Издательство АН СССР, Москва, 1960

外部リンク

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先代
イシュプイニ
ウラルトゥ王
紀元前810年頃 - 786年頃
次代
アルギシュティ1世