ウラルトゥ

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ウラルトゥ
ミタンニ 前860年 - 前585年 メディア王国
:en:Satrapy of Armenia
ウラルトゥの位置
前9世紀から前6世紀のウラルトゥの版図
公用語 ウラルトゥ語en:Proto-Armenian language
首都 アルザシュクン英語版トゥシュパ英語版
君主
xxxx年 - xxxx年 不明
変遷
不明 xxxx年xx月xx日

ウラルトゥ紀元前9世紀ごろから紀元前585年までアナトリアに存在した王国。その版図は、現在のトルコ東部のヴァン湖周辺を中心に、メソポタミア北部からコーカサス南部にわたった。

名称


BiainliVanArarat

(en)Haldia[1]

歴史

 
ウラルトゥ王国の最大版図(黄色)(紀元前743年頃)。緑色はアッシリア帝国の版図

前史

紀元前1250年ごろのアッシリアの文書は、「ウルアトリ(Uruatri)」または「ナイリ(Nairi)」と呼ばれる民族とのゆるやかな同盟関係に言及している。現在知られているウラルトゥについての情報のほとんどは、アッシリアの文書から得られたものである。

黎明期


860830

拡大期


1832Tushpa2[1]西

衰退期・滅亡


7141Rusa2714 - 585585553 - 331

発掘

紀元後5世紀ごろ以降、ウラルトゥの存在は忘れ去られていたが、18世紀19世紀の発掘によって再発見された。

言語系統

ウラルトゥ語は、フルリ・ウラルトゥ語族に分類される膠着語である。フルリ人が築いたミタンニ王国(紀元前1500年頃 - 紀元前1270年頃)で使用されたフルリ語と近縁関係にある。

歴代国王

 
ケフ・カレシ出土の礎石(ルサ2世時代)。アナトリア文明博物館(アンカラ)蔵

黎明期

拡大期

衰退期

脚注

  1. ^ a b 杉「ウラルトゥ王国」『アジア歴史事典 1』

参考文献

  • Boris B. Piotrovsky, The Ancient Civilization of Urartu (translated from Russian by James Hogarth), New York:Cowles Book Company, 1969.
  • ボリス・ピオトロフスキー著, 加藤九祚訳, 「埋もれた古代王国の謎―幻の国ウラルトゥを探る」岩波書店, (1981年)
  • 杉勇「ウラルトゥ王国」(『アジア歴史事典 1』(平凡社、1984年))

 

関連項目