「オキナワ移住地」の版間の差分
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オキナワ移住地は<!-- 、北から南に第1移住地、第2移住地、第3移住地からなり{{sfn|南米における沖縄県出身移民に関する地理学的研究|1986|p=85}}、-->南北方向に細長い形をしている{{sfn|ボリビア日本人移住一〇〇周年移住史編纂委員会|2000|p=234}}。[[サンタ・クルス・デ・ラ・シエラ]]︵以後、﹁サンタ・クルス市﹂と記述︶の北東に位置し、第 === 地形 ===
オキナワ移住地が属するボリビアの東部低地帯は、[[アンデス山脈]]と[[ブラジル 第1移住地の北側に{{仮リンク|グランデ川 (ボリビア)|label=グランデ川|es|Río Grande (Bolivia)}}が流れており、この河川の氾濫によって一帯には微地形が確認できる{{sfn|南米における沖縄県出身移民に関する地理学的研究|1986|p=13}}。また{{仮リンク|ピライ川 (ボリビア)|label=ピライ川 |es|Río Piraí (Bolivia)}}の支流の水源が第3移住地にあり、この河川は第2移住地を貫流し、第 === 地質 ===
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2000年に発行された﹃日本人移住一〇〇周年誌 ボリビアに生きる﹄では﹁入植当初は広く[[原生林]]に覆われていたが、現在では原生林はほぼ姿を消し、周囲に再生林が残っている﹂としている{{sfn|ボリビア日本人移住一〇〇周年移住史編纂委員会|2000|p=235}}。また移住者の移住地外の農地の購入も活発であり、2004年現在、オキナワ移住地外に移住者が所有する農地は20,000haに及ぶ{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=443}}。 ==== 入植以前 ====
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== 産業 ==
移住地は、農業と牧畜業の第一次産業が主要な産業である。1971年、第1移住地、第2移住地、第3移住地のそれぞれ別個にあった[[農業協同組合 (世界)|農業協同組合]]を統合し、﹁コロニア沖縄農牧総合協同組合﹂︵略称‥CAICO︶が発足した。CAICOが中心となり、大型設備の導入が進められている。 === 農業 ===
移住地の主要な農作物は、入植直後に[[陸稲]]、1970年代に綿花、1980年代から[[大豆]]と推移してきた{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=439}}。現在でも最も作付面積が大きい作物は大豆である{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=439}}。1990年代に入り、大豆価格の下落と天候不順による価格低下に見舞われた{{sfn|コロニア・オキナワ入植50周年記念誌|2005|p=86}}。このため冬場の作物として[[小麦]]と[[ヒマワリ]]も導入され{{sfn|コロニア・オキナワ入植50周年記念誌|2005|p=86}}、主要作物として定着していった{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=439}}。その他に家畜飼料用として[[とうもろこし]]や[[モロコシ|ソルゴー]] [[File:Chart of harvest in Colonia Okinawa.svg|thumb|300px|オキナワ移住地の穀物収穫高の年次推移]]
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入植当初は、原始的な[[焼畑農業]]が行われていたが{{sfn|南米における沖縄県出身移民に関する地理学的研究|1986|p=89}}、1970年代の綿花栽培の導入時に、[[国際協力事業団]]の融資などをうけて短期間に機械化が進行した{{sfn|南米における沖縄県出身移民に関する地理学的研究|1986|p=90}}。綿花栽培は、天候不順︵多雨︶、[[連作#連作障害|連作障害]]による農薬の多投、綿花の国際相場の下落などにより1976年から急速に減少した{{sfn|南米における沖縄県出身移民に関する地理学的研究|1986|p=90}}。移民者には多額の債務が残ったが、結果として短期間に原始的な焼畑農業から脱却をはかり、機械化された大規模農場の経営に大転換することに成功した{{sfn|南米における沖縄県出身移民に関する地理学的研究|1986|p=90}}。 2002年には、ボリビア政府より﹁小麦の首都︵{{lang-es-short|La Capital Triguera de Bolivia}}︶﹂として認定された{{sfn|コロニア・オキナワ入植50周年記念誌|2005|p=92}}。これは、ボリビアの熱帯地方での小麦栽培発祥の地として評価されたものである{{sfn|コロニア・オキナワ入植50周年記念誌|2005|p=92}}。 222行目:
移住地ではCAICOを中心とし、農作物を加工し付加価値のある加工品製造にも乗り出している。
米の販路拡大を目指して、2005年にCAICO直営の精米所が落成した{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=440}}。2006年には、第2移住地に乳製品の加工工場を建設した{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=440}}。 == 移民の背景 ==
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* 平良勝芳
: 初代オキナワ村の村長。第4次移民で両親に連れられて入植した。2000年の選挙で当選し、2004年の2期目を目指した選挙でボリビア人の対立候補に敗れた。 * [[新垣まゆみ]]
: オキナワ村議会議員。2021年の選挙で当選した。
=== 移住地から沖縄県に持ち込まれた植物 ===
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[[Category:アメリカ施政権下の沖縄]]
[[Category:日本・ボリビア関係]]
[[Category:琉球人街]]
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