「オキナワ移住地」の版間の差分
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ただ、[[グアテマラ]]や[[ガイアナ]]に過激派政府が成立すると、ラテンアメリカ地域への影響力低下が懸念された。当初﹁独裁政権﹂と見なしていたボリビアの国民革命運動党政府を、逆に支援することが、ボリビアの共産主義革命を防ぐ唯一の策と考えるようになった{{sfn|クライン、ボリビアの歴史|2011|p=314}}。アメリカ政府はパス・エステンソロを共産主義政権への転換を防ぐ人物として受け入れ、またパス・エステンソロも親米派の立場を取ることでアメリカの強い圧力を回避していった{{sfn|クライン、ボリビアの歴史|2011|p=315}}。 ==== 岸信介
すでに琉球政府によるボリビア移民が始まっていたが[[1957年]]、内閣総理大臣に就任した[[岸信介]]は、沖縄の返還、基地および沖縄県民の海外移民に関心を寄せていたことが知られている{{efn|岸信介は1954年に設立された日本ボリビア協会の初代会長であった{{sfn|若槻、発展途上国への移住の研究|1987|p=11}}。日本ボリビア協会の設立目的は日本国内のボリビア移住への機運を盛り上げることにあった{{sfn|若槻、発展途上国への移住の研究|1987|p=11}}。}}。
同年の6月、訪米した岸と[[ジョン・フォスター・ダレス|ダレス]][[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]との会談が行われた{{sfn|平良、戦後沖縄と米軍基地|2012|p=177}}。ここで岸は﹁沖縄ではみずからの土地を接収された農地のための代替地はない{{sfn|平良、戦後沖縄と米軍基地|2012|p=177}}。アメリカはこの被害にあった人々の他国への移住を援助できるのか﹂﹁沖縄住民の再定住先として信託統治領、[[サイパン島|サイパン]]や[[テニアン島|テニアン]]などはどうか﹂と問いかけた{{sfn|平良、戦後沖縄と米軍基地|2012|p=177}}。これに対して、ダレス国務長官は﹁検討してみる﹂と応じた{{sfn|平良、戦後沖縄と米軍基地|2012|p=177}}。 === ボリビア政府の事情 ===
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