ジョーン・サザーランド

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ジョーン・サザーランドJoan Sutherland 1926年11月7日‐)は、オーストラリアシドニー郊外出身のソプラノ歌手。なお、姓の発音は最初のサにイントネーションをおいた「ザランド」が適切であるが、ここでは日本で慣用となった表記に従う。

ベルカントソプラノになる前は?


194719501952



1954

19591961

ラ・ステュペンダ(La Stupenda)




19621969

3E使La StupendaC

引退

しかしさしもの彼女の装飾歌唱のテクニックや音量も1970年代後半から次第にかげりを見せるようになり、その代わりに演技力を磨くことでその衰えを補っていた(それでも1980年代までは3点変ニ(D flat)までは難無く維持していた)が、1992年に正式にオペラからの引退を発表する。その引退記念コンサートはルチアーノ・パヴァロッティマリリン・ホーンも参加したにぎやかなものとなった。

日本での評価

ベルカント・オペラ復活に関する彼女の多大なる功績にもかかわらず、彼女の評価は日本においてはお世辞にも高いものとは言えなかった。

1975年にメトロポリタン歌劇場来日公演で椿姫のヴィオレッタ役を歌ったのがサザーランドの日本における初公演だったが、それ以前の日本人のオペラ評論家はレコードや海外公演などで1960年代の彼女の演奏を聞いて「白痴美的」と言うレッテルを貼っていた。しかし初来日公演を聴いた日本人オペラ評論家は声の衰えをあげつらうと言うおよそ健全とは言い難い批評をしていた。

実際サザーランドの絶頂期だった1960年代から1970年代前半までは、発声の美しさや歌唱のフォルムを重視するあまり、歌唱のアーティキュレーションを犠牲にした面があったのは事実である。それが「イタリア語(フランス語)の歌詞として聴こえない」という批判となっていた。この欠点が修正されるのは歌手としての衰退期にあたっていた為に、そのような背景を無視した批判は的外れな揚げ足取りとしか思えない。

もしもサザーランドに対する評価が高かったらば日本におけるベルカント・オペラの展開もそれだけ早まったであろうとも考えられ、惜しまれる。

参考文献

  • 本間公「思いっきりオペラ」宝島社1993年
  • 相澤啓三「オペラ・オペラ・オペラ!天井桟敷のファンからの」洋泉社1999年

関連項目