バカップル
熱愛状態の恋人をからかう語
定義
用語の使い手、用語に対する評価
例えばキスなどに関しては、日本でも近年は、公然とすることに対する抵抗感が低いまたは全く無い若者が増えているが、日本の中高年者にはそれを快く思わない人も少なくない。これは、キスが古くから日常的な文化として定着している欧米諸国と異なり、日本には数十年前まではそういった文化がなかったこと、今でも﹁奥ゆかしさ﹂を美徳だとする価値観を持っている人がいるためである。そういう人たちは、西洋文化が広まっている現代の若者達からは美徳が失われつつある、と捉えたり、この﹁バカップル﹂という俗語でレッテルを貼ったりすることがあるわけである。それはそれでひとつの価値観のありかたではある。キスのことをかつて﹁接吻︵せっぷん︶﹂などとしか呼んだことがなく、モノクロ映画などでそのシーンが登場しただけでも社会問題となってしまうような時代に育てば、自然とそういう価値観になるわけである。
ただし、上記のようにそれなりの時代背景や価値観の影響があった年配の世代はともかくとして、若い世代の独身者など︵異性の相手がいない人︶で、上述のようなカップルをことさら意識したり、不愉快に感じて﹁バカップル﹂という用語を多用する人の中には、︵本人の自覚しないところで︶一種の嫉妬の感情が動き、そのような認識を作り出している可能性はある。ある段階で、ことさら問題視している若者でも、いざ自身にしっかりとした相手ができると、他のカップルのあり様などはさしたる問題でもなくなって、気にもならなくなる人も多い。
キスという行為に慣れている人々は、キスをしている光景というのは、人と人が愛し合っている光景なのであり︵人々がいがみ合ったり、戦争をしたり、よそよそしい態度をとったりしている状態に比べればはるかにましで︶ほほえましい光景、平和な光景、などと肯定的に捉える人が多く、あまり﹁バカップル﹂という用語を使おうとはしない。
また、人間の個人性を尊重する人々の中には︵→個人主義︶、︵恋愛の形態も含めて︶他人の個人的な行為をとやかく言って干渉しようとすることは、日本で個人主義が未だに定着していない、前近代性の表れではないか、と捉える人もある。
あるいは、日本的な価値観の中でも﹁粋︵いき︶﹂を優先する人などでは、他人の色恋ごとについてあれこれ言うことはそれだけで一種の﹁野暮︵やぼ︶﹂だ、捉える人もいる。
日本以外の諸国における状況
英語に﹁バカップル﹂を意味する言葉はない。また、北米や南米、欧州の多くの国では、上記のような言動には比較的寛容である場合が多い。例えば、フランス、パリのセーヌ川沿いでは暖かい季節などは、恋人たちが長いキスをしている光景が日常的に見られ(数十メートルおきに1カップル。長いキスの中には数十分間も続くものもある︶、むしろそれはパリのロマンチックな風景を構成する大切な要素として人々から好意的に受け止められている︵あるいは、あまりに日常的な光景なので、気にもとめない︶。また例えば、イタリアのローマ、あるいは南米ブラジルのサンパウロなどでも、ちょいと横丁に入ったりすると若い恋人たちが、愛しそうに抱き合って、愛を語り合っている光景に出会うことができる。
一方、イスラム諸国やヒンドゥー教国であるインドなどでは、性的な表現には非常に厳しいので、注意が必要である。公然とディープキスなどをしていると逮捕される場合もある。︵ただし、手はつないでいても大丈夫であり、ペアルックも大丈夫である。また、独特の愛称などで呼び合っていても勿論大丈夫である。そもそも日本語が通じない︶
脚注
- ^ 出典:米川明彦編『日本俗語大辞典(第3版)』東京堂出版 2006年 492頁
- ^ 『現代用語の基礎知識 1996年版』1006頁、加藤迪男編『20世紀の言葉の年表』 東京堂出版 2001年 ISBN 978-4-490-10567-4 260頁に掲載
- ^ 加藤迪男編『20世紀の言葉の年表』 東京堂出版 2001年 ISBN 978-4-490-10567-4 260頁
- ^ バカップルであることを開き直り、他人に不快感を与える者もいくらか存在する。