ミルリーフ
競走馬
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ミルリーフ | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1968年2月23日 |
死没 | 1986年2月2日 |
父 | ネヴァーベンド |
母 | ミランミル |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 | ロークビー・ファーム |
馬主 | ポール・メロン |
調教師 | イアン・ボールディング |
競走成績 | |
生涯成績 | 14戦12勝 |
獲得賞金 | 172,259ポンド+1,891,050フラン |
ミルリーフ (Mill Reef、1968年 - 1986年) はアメリカで生まれ、イギリスで調教された競走馬。1970年代初頭に活躍した。Time Formによる20世紀世界の平地競走馬トップ200、第8位。
現役時代
当初はアメリカで走らせる予定もあったが、結局イギリスでデビュー。2歳春にデビューし2連勝を収めるも、3戦目のロベールパパン賞でその年フランス2歳4冠馬マイスワローにアタマ差で敗れ2着に終わる。その後3戦は全て圧勝で2歳シーズンを終える。その年の2歳フリーハンデはマイスワローが133ポンド、ミルリーフが132ポンド、そして後の最強のライバルブリガディアジェラードが131ポンドだった。
明けて3歳となったミルリーフは緒戦を圧勝すると、後に最高の一戦とも謳われる英2000ギニーへ駒を進める。レースはマイスワロー、ミルリーフ2頭の争いと思われていた。逃げるマイスワローと追うミルリーフの一騎打ち、どちらが勝つのかと思われた瞬間、後方一気でブリガディアジェラードが並ぶ間もなく二頭を交わし、ゴールを先頭で駆け抜ける。ミルリーフはなんとか2着を確保したものの、3馬身差の完敗だった。
エプソムダービーではブリガディアジェラードの不出走もあり快勝、古馬との対戦となったエクリプスステークスを快勝、続くキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでも圧勝、秋にはフランスの凱旋門賞をも制覇、史上初のヨーロッパ3大競走制覇︵欧州三冠は日本のみの表現︶を成し遂げる。
その後ブリガディアジェラードとの対戦が期待されたが、結局実現することなく引退。通算14戦12勝。
種牡馬時代
血統表
ミルリーフの血統(ネヴァーベンド系(ナスルーラ系)/ アウトブリード) | (血統表の出典) | |||
父 Never Bend 1960 鹿毛 |
父の父 Nasrullah1940 鹿毛 |
Nearco | Pharos | |
Nogara | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | |||
Mumtaz Mahal | ||||
父の母 Lalun1952 鹿毛 |
Djeddah | Djebel | ||
Djezima | ||||
Be Faithful | Bimelech | |||
Bloodroot | ||||
母 Milan Mill 1962 鹿毛 |
Princequillo 1940 鹿毛 |
Prince Rose | Rose Prince | |
Indolence | ||||
Cosquilla | Papyrus | |||
Quick Thought | ||||
母の母 Virginia Water1953 芦毛 |
Count Fleet | Reigh Count | ||
Quickly | ||||
Red Ray | Hyperion | |||
Infla Red F-No.22-d |