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'''ラモン・ == 生涯 ==
1912年、[[チジャン [[1944年]]には[[テノール]]の声域に挑戦、6月19日に難役﹃[[オテロ (ヴェルディ)|オテロ]]﹄でテノールとしてのデビューを飾る。バリトン出身の重い声質と、フランス語の発音の良さを活かし、[[ジョルジュ・ビゼー|ビゼー]]﹃[[カルメン]]﹄のドン・ホセ役、[[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]﹃サムソンとデリラ﹄のサムソン役なども得意とした。[[1946年]]からは[[ニューヨーク]]・[[メトロポリタン歌劇場]]、[[1947年]]からは[[イタリア]]の各都市にも登場、殆ど上記のオテロ、ドン・ホセ、サムソンおよび﹃道化師﹄のカニオばかりを歌って、同時代の[[テノール#分類|テノール・ドラマティコ]]の中心的存在となった。歌い崩しの少ない彼の歌唱は多くの大指揮者にとっても好評で、オテロでは[[アルトゥーロ・トスカニーニ|トスカニーニ]]指揮盤︵[[NBC交響楽団]]による放送録音︶、[[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー|フルトヴェングラー]]指揮盤︵[[ザルツブルク]]におけるライブ録音︶など、いくつかの名録音を残している。 11行目:
1950年代に入ると、これまでのイタリア/フランス系オペラに加え、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の[[テノール#分類|ヘルデンテノール]]諸役、例えば﹃[[ニーベルングの指環]]﹄のジークムント、﹃[[パルジファル]]﹄、﹃[[トリスタンとイゾルデ (楽劇)|トリスタンとイゾルデ]]﹄のトリスタンなどもレパートリー化する。その歌唱は[[バイロイト音楽祭]]のライブ録音などで確認できる。 10年間にわたって重量級の役ばかり歌ってきた [[1969年]]9月には故国[[チリ]]・[[サンティアゴ・デ・チレ]]のムニシパル劇場で一連の引退公演を行う。そのうち﹃オテロ﹄を演じた9月22日の公演では、 1996年1月4日、メキシコのプエブラで死去。85歳。
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