概要
ラファエロによる模写。
レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ は 2 つ の 異 な る ﹃ レ ダ と 白 鳥 ﹄ を 構 想 し た こ と が 知 ら れ て い る 。 1 つ は レ ダ が ひ ざ ま ず い た タ イ プ で あ り 、 も う 1 つ は 立 像 タ イ プ の 2 つ で あ る 。 絵 画 の 発 注 者 は 不 明 で あ る 。 作 品 に 関 す る 記 録 文 書 、 契 約 書 、 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ へ の 支 払 い の 記 録 は 現 在 ま で 発 見 さ れ て い な い 。 お そ ら く こ れ は 芸 術 家 本 人 に よ る 個 人 的 な 作 品 と 見 な す べ き で あ る 。 美 術 史 家 ダ ニ エ ル ・ ア ラ ス ︵ D a n i e l A r a s s e ︶ は 主 題 の 独 創 性 に つ い て ﹁ ロ ー マ の サ ン ・ ピ エ ト ロ 大 聖 堂 の ブ ロ ン ズ の 扉 に あ る ア ン ト ニ オ ・ フ ィ ラ レ ー テ の わ ず か な レ リ ー フ 彫 刻 を 除 け ば 、 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ は レ ダ と 白 鳥 を 重 要 な 構 図 の 中 心 人 物 と し て 選 択 し た 最 初 の 人 物 で あ っ た ﹂ と 明 確 に 述 べ て い る [ 1 ] 。 ま ず レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ は 1 5 0 3 年 か ら 1 5 0 4 年 頃 に 、 レ ダ が ひ ざ ま ず い た 姿 勢 を し た ﹃ レ ダ と 白 鳥 ﹄ を 構 想 し た 。 そ れ は ち ょ う ど 彼 が ﹃ ア ン ギ ア ー リ の 戦 い ﹄ の 制 作 に 取 り 組 ん で い た 時 期 に あ た る 。 ウ ィ ン ザ ー 城 の 王 立 図 書 館 に は ﹃ ア ン ギ ア ー リ の 戦 い ﹄ の た め の も の と 思 わ れ る レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の 馬 の デ ッ サ ン の 隣 に 、 非 常 に 小 さ な 卵 ら し き も の と と も に ひ ざ ま ず い た 女 性 が 描 か れ た 紙 片 が 所 蔵 さ れ て い る 。 お そ ら く 彼 は ひ ざ ま ず い た レ ダ の 構 想 に 基 づ く 簡 単 な 素 描 を 制 作 し て お り 、 弟 子 の ジ ャ ン ピ エ ト リ ー ノ は そ れ を も と に 1 5 0 8 年 か ら 1 5 1 3 年 の 間 に 絵 画 を 制 作 し た 。 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ が 最 初 の 構 想 か ら や や 遅 れ て 、 立 像 タ イ プ の レ ダ の 原 寸 大 の カ ル ト ン を 制 作 し た の は 1 年 後 の 1 5 0 5 年 頃 で あ る [ 2 ] 。 そ こ に は 立 っ た 姿 の レ ダ に 加 え て ゼ ウ ス が 変 身 し た 白 鳥 と 、 2 個 の 卵 、 4 人 の 子 供 が 描 か れ て い た 。 こ れ は カ ル ト ン を 見 て 描 い た と 思 わ れ る ラ フ ァ エ ロ ・ サ ン ツ ィ オ の 素 描 が や は り ウ ィ ン ザ ー 城 に 所 蔵 さ れ て い る た め 確 実 と 考 え ら れ て い る ︵ た だ し ラ フ ァ エ ロ は レ ダ 、 白 鳥 、 子 供 1 人 の み 描 い て い る ︶ 。 ま た 芸 術 家 本 人 は ﹁ ジ ャ コ モ ・ ア ル フ ェ オ ︵ J a c o m o A l f e o ︶ 氏 の 妻 は レ ダ の モ デ ル と し て 役 立 つ か も し れ な い ﹂ と 述 べ て い る [ 3 ] 。
レ オ ナ ル ド 自 身 に よ っ て 制 作 さ れ た ﹃ レ ダ と 白 鳥 ﹄ の 完 成 作 が 存 在 し た 可 能 性 は あ り 、 実 際 に レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の 死 後 に 本 人 が 制 作 し た と 思 わ れ る ﹃ レ ダ と 白 鳥 ﹄ に つ い て の 言 及 が い く つ か 見 ら れ る 。 し か し レ オ ナ ル ド 派 の 多 く の 複 製 で は 背 景 な ど い く つ か の 点 に お い て 不 一 致 が 見 ら れ る た め 、 完 成 作 ま で は 制 作 せ ず 、 カ ル ト ン の み に 留 ま っ た の で は な い か と い う 見 解 も あ る [ 2 ] [ 4 ] 。 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の 3 つ の 基 本 的 な 伝 記 で レ ダ に つ い て 言 及 し て い る は ア ノ ニ モ ・ ガ デ ィ ア ー ノ ︵ 英 語 版 ︶ だ け で あ り [ 5 ] 、 ジ ョ ル ジ ョ ・ ヴ ァ ザ ー リ は こ の 点 に つ い て 言 及 し て い な い 。 レ ダ の 言 及 は サ ラ イ の 死 後 の 財 産 の 目 録 に あ り 、 リ ス ト さ れ た 絵 画 の 中 で ︵ た と え ば ﹃ モ ナ ・ リ ザ ﹄ を 越 え る ︶ 最 大 の 価 値 が つ け ら れ て い る 。 16 世 紀 の 画 家 兼 理 論 家 ジ ョ バ ン ニ ・ パ オ ロ ・ ロ マ ッ ツ ォ ︵ 英 語 版 ︶ は 、 本 作 品 を ﹁ 白 鳥 を 抱 き し め る 裸 の レ ダ 、 彼 女 の 目 は 臆 病 に 下 が っ た ﹂ と 説 明 し て い る [ 6 ] 。 ニ コ ラ ・ プ ッ サ ン の 友 人 で あ り 後 援 者 で あ る カ ッ シ ア ー ノ ・ ダ ル ・ ポ ッ ツ ォ ︵ 英 語 版 ︶ は フ ラ ン ス の 枢 機 卿 フ ラ ン チ ェ ス コ ・ バ ル ベ リ ー ニ ︵ 英 語 版 ︶ の 外 交 使 節 の 一 員 で あ っ た 1 6 2 5 年 に 、 フ ォ ン テ ー ヌ ブ ロ ー 宮 殿 で 絵 画 を 見 る 機 会 が あ っ た 。 彼 は 貴 重 な 証 言 を 残 し て い る 。 ﹁ 立 っ て い る レ ダ は 、 ほ と ん ど 裸 で 白 鳥 と 2 つ の 卵 を と も な っ て お り 、 そ の 卵 の 殻 か ら 4 人 の 子 供 ︵ カ ス ト ル と ク リ ュ タ イ ム ネ ス ト ラ 、 ポ ル デ ウ ケ ス と ヘ レ ネ ︶ が 孵 化 し た よ う に 見 え る 。 こ の 作 品 は 非 常 に 完 成 さ れ て い る が 、 特 に 女 性 の 古 色 は 非 常 に 乾 燥 し て お り 、 風 景 と 残 り の 部 分 は 非 常 に 勤 勉 に ︵ 細 心 の 注 意 を 払 っ て ︶ 制 作 さ れ て い る 。 3 枚 の 長 い 板 が バ ラ バ ラ に な っ て い て 、 塗 装 の 一 部 が 剥 が れ て い る た め 、 状 態 が 悪 い ﹂ [ 7 ] 。 こ の 絵 画 は 1 6 2 5 年 の カ ッ シ ア ー ノ ・ ダ ル ・ ポ ッ ツ ォ の 説 明 に 最 後 に 登 場 す る [ 8 ] 。 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の 完 成 さ れ た 作 品 が あ っ た と す れ ば 、 フ ォ ン テ ー ヌ ブ ロ ー 宮 殿 で 記 録 さ れ た 作 品 が 該 当 す る と 考 え ら れ て い る 。 い ず れ に せ よ 、 フ ォ ン テ ー ヌ ブ ロ ー 宮 殿 に は 1 5 4 0 年 、 1 6 2 5 年 、 1 6 4 2 年 、 1 6 9 2 年 に 立 像 の ﹃ レ ダ と 白 鳥 ﹄ が 所 蔵 さ れ て い た こ と が 記 録 さ れ て お り 、 1 6 9 4 年 に 記 録 さ れ た の を 最 後 に 1 7 7 5 年 以 前 に 失 わ れ て い る [ 2 ] 。
原 寸 大 カ ル ト ン は レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の 死 後 、 ﹃ ア ト ラ ン テ ィ コ 手 稿 ︵ 英 語 版 ︶ ﹄ な ど と と も に フ ラ ン チ ェ ス コ ・ メ ル ツ ィ に 相 続 さ れ た ら し く 、 彫 刻 家 ポ ン ペ オ ・ レ オ ー ニ ︵ イ タ リ ア 語 版 ︶ の 手 を 経 て ア ル コ ナ ー テ ィ 家 の コ レ ク シ ョ ン に 入 っ た 。 そ の 後 、 1 7 2 1 年 に カ ゼ ネ デ ィ 家 に 移 っ た が 、 1 7 3 0 年 の カ ゼ ネ デ ィ 家 の 記 録 を 最 後 に 所 在 が 分 か ら な く な り 、 失 わ れ た と 考 え ら れ て い る [ 2 ] 。
ひざまずくレダ チ ャ ッ チ ワ ー ス の レ ダ 。
ボ イ マ ン ダ の レ ダ 。
1 5 0 3 年 に レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ に 依 頼 さ れ た ﹃ ア ン ギ ア ー リ の 戦 い ﹄ の 素 描 の 横 に ﹁ ひ ざ ま ず く レ ダ ﹂ の 最 初 の ス ケ ッ チ が 現 れ る [ 9 ] 。 こ の 最 初 の バ ー ジ ョ ン は ﹁ 立 っ て い る レ ダ ﹂ の バ ー ジ ョ ン に 先 行 す る と 結 論 づ け ら れ て い る 。 ﹁ ひ ざ ま ず く レ ダ ﹂ は ﹁ 白 鳥 の 翼 の 下 に 横 た わ っ て い る レ ダ ﹂ と い う オ ウ ィ デ ィ ウ ス の ﹃ 変 身 物 語 ﹄ の 説 明 に 対 応 し て い る よ う で あ る ︵ レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ は 自 身 の 図 書 館 に ﹃ 変 身 物 語 ﹄ を 持 っ て い た ︶ 。
ひざまずくレダの習作(チャッツワース版)
1504年頃。紙に黒チョーク、ペン・ブラウンインク、筆・ブラウンウォッシュで描かれている。デヴォンシャー公爵 のコレクションとしてチャッツワース・ハウス に所蔵されている。レオナルド・ダ・ヴィンチによるこの習作はロッテルダム のボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館 に所蔵されている素描による習作と似ている。フランソワ・ヴィアート(Françoise Viatte)は「レオナルド・ダ・ヴィンチが使用した腐食性の茶色のインクは構図の暗い影をいくらか損なわせた」と述べている[10] 。 選択したポーズは芸術家のアドバイスに対応していると思われる。「もし何らかの理由で後ろ向きまたは横向きになっている人を表現したい場合は、あなたは彼女の足とすべての手足を彼女が頭を回している方向に動かしてはいけないが(・・・)関節に応じてその動きを分解しなさい[11] 」。
ひざまずくレダの習作(ボイマンス版)
制作年は1504年頃。紙にペン、ブラウンインク、黒チョークで描かれている。ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館に所蔵されている。右下隅に17世紀から18世紀初頭のものと思われる「Lionardo da Vinci」の署名がある。肖像画家トーマス・ローレンス 卿が所有したのち、オランダ国王ウィレム2世 が入手した。王の死後の1850年8月12日に一度は売りに出されたが、娘のザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ 大公妃のソフィー・ファン・オラニエ=ナッサウ が相続し、以降は大公家が所有した。20世紀に入って大公家を離れたのち複数の所有者を経て1940年にロッテルダムのD・G・ファン・ベニンゲンが入手し、その翌年にボイマンス美術館財団に寄贈された。
馬の隣に描かれた素描 馬 の 隣 に 描 か れ た 素 描 。
ジ ャ ン ピ エ ト リ ー ノ 版 。
紙 に 黒 チ ョ ー ク 、 ペ ン ・ イ ン ク で 描 か れ て い る 。 ロ イ ヤ ル ・ コ レ ク シ ョ ン ︵ ウ ィ ン ザ ー 城 の 王 立 図 書 館 ︶ に 所 蔵 さ れ て い る 。 馬 の 素 描 の 横 に 、 2 点 の ひ ざ ま ず い た 女 性 の 素 描 が 枠 付 き で 描 か れ て い る が 、 サ イ ズ は 非 常 に 小 さ く 、 か な り 初 期 の 構 想 を 示 し て い る と 思 わ れ る 。 白 鳥 が い な い た め レ ダ で は な い 可 能 性 は あ る が 、 大 き な 素 描 で は 卵 ら し き も の が 描 か れ て お り 、 レ ダ を 表 し て い る と 考 え ら れ る 。 こ の こ と は レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ が 最 初 に レ ダ と 子 供 た ち の み で 構 想 し て い た こ と を 推 測 さ せ る 。 実 際 に 弟 子 の ジ ャ ン ピ エ ト リ ー ノ の ﹃ レ ダ と 子 供 た ち ﹄ で は 白 鳥 は 描 か れ て い な い 。 な お 、 馬 の デ ッ サ ン は ﹃ ア ン ギ ア ー リ の 戦 い ﹄ の た め と 思 わ れ 、 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ が ﹃ ア ン ギ ア ー リ の 戦 い ﹄ の 発 注 を 受 け た の は 1 5 0 3 年 頃 で あ る こ と か ら 、 こ の ス ケ ッ チ も 同 じ 頃 の も の と 考 え ら れ て い る [ 12 ] 。
ジャンピエトリーノ版
ジ ャ ン ピ エ ト リ ー ノ 版 は カ ッ セ ル 市 立 美 術 館 ︵ 英 語 版 ︶ に 所 蔵 さ れ て い る 。 1 7 4 9 年 に パ リ で 発 見 さ れ た の ち 、 1 7 5 6 年 に ヘ ッ セ ン = カ ッ セ ル 方 伯 ウ ィ ル ヘ ム 8 世 に よ っ て 取 得 さ れ た [ 13 ] 。 こ の と き す で に 後 代 の 塗 り 直 し に よ っ て 卵 と 子 供 が 多 い 隠 さ れ て い た た め 、 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の ﹃ カ ス タ リ ア ︵ 慈 愛 ︶ ﹄ と 勘 違 い さ れ て い た [ 13 ] 。 塗 り 直 し の 除 去 は 1 8 0 6 年 か ら 1 8 3 5 年 の 間 に 行 わ れ た 。
こ れ は レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の 白 鳥 を 持 た な い ﹁ ひ ざ ま ず く レ ダ ﹂ の 最 も 優 れ た 複 製 で あ る 。 赤 外 線 リ フ レ ク ト グ ラ フ ィ ー の 科 学 的 調 査 に よ っ て レ ダ を 表 す 主 題 の 下 に 、 お そ ら く レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の カ ル ト ン か ら 派 生 し た 、 師 に 非 常 に 忠 実 な ﹃ 聖 ア ン ナ と 聖 母 子 ﹄ の 構 図 が 発 見 さ れ た [ 13 ] 。 こ れ は ジ ャ ン ピ エ ト リ ー ノ が 師 に 近 い こ と を 裏 付 け て お り ︵ ジ ャ ン ピ エ ト リ ー ノ は 弟 子 の 1 人 と し て 彼 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の ノ ー ト に 記 載 さ れ て い る ︶ 、 絵 画 が レ オ ナ ル ド が 生 き て い る 間 に 作 ら れ た こ と を 示 唆 し て い る 。 制 作 時 期 に つ い て ツ ェ ル ナ ー ︵ Z ö l l n e r ︶ は 1 5 0 8 年 か ら 1 5 1 3 年 の 間 を 提 案 し て い る [ 14 ] 。
立っているレダ チ ェ ザ ー レ ・ ダ ・ セ ス ト 版 ﹃ レ ダ と 白 鳥 ﹄ 。
ボ ル ゲ ー ゼ 美 術 館 版 ﹃ レ ダ と 白 鳥 ﹄ 。
ウ フ ィ ツ ィ 版 ﹃ レ ダ と 白 鳥 ﹄ 。
レ ダ の ポ ー ズ は 鋭 い コ ン ト ラ ポ ス ト ︵ 重 心 が 片 方 の 脚 に か か っ て お り 、 腰 の ラ イ ン が 肩 の ラ イ ン と 反 対 に な っ て い る ︶ と し て 見 る こ と が で き る が 、 ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ が ロ ー マ の サ ン タ ・ マ リ ア ・ ソ プ ラ ・ ミ ネ ル ヴ ァ 教 会 の ﹃ 贖 い の 主 イ エ ス ・ キ リ ス ト ﹄ で 普 及 さ せ た マ ニ エ リ ス ム の 蛇 行 線 の 前 兆 と し て も 見 る こ と が で き る ︵ 身 体 は 垂 直 軸 に 沿 っ て 巻 き 上 が る ︶ 。 お そ ら く 、 こ の 革 新 は レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ に よ っ て 選 択 さ れ た ま さ に そ の テ ー マ に よ る も の で あ る 。 レ ダ の バ ラ ン ス の 取 れ た ポ ー ズ は 白 鳥 ︵ ゼ ウ ス ︶ に と っ て は 肉 体 的 で あ り 、 子 供 た ち に と っ て は 母 性 的 な 、 彼 女 の 二 重 の 魅 力 を 反 映 し て い る 。
チェザーレ・ダ・セスト版
ボルゲーゼ美術館版
ウフィツィ美術館版
こ れ は ﹃ ス ピ リ ド ン の レ ダ ﹄ ︵ S p i r i d o n L e d a ︶ と 呼 ば れ て い る も の で 、 フ ィ レ ン ツ ェ の ウ フ ィ ツ ィ 美 術 館 に 所 蔵 さ れ て い る 。 ﹁ 並 外 れ た 品 質 と 保 存 状 態 の 良 さ ﹂ で 知 ら れ る こ の 作 品 は 、 ロ ジ ェ ー ル 侯 爵 ︵ m a r q u i s d e l a R o z i è r e ︶ の コ レ ク シ ョ ン で 初 め て 言 及 さ れ た 。 そ の 後 、 ロ ブ ル 男 爵 ︵ B a r o n d e R o u b l é ︶ の 手 に 渡 り 、 ル ド ヴ ィ コ ・ ス ピ リ ド ン ︵ L u d o v i c o S p i r i d o n ︶ に よ っ て パ リ か ら ロ ー マ に 移 さ れ た 。 第 二 次 世 界 大 戦 中 に ガ ロ ッ テ ィ ・ ス ピ リ ド ン 公 爵 夫 人 か ら ナ チ ス ・ ド イ ツ の ヘ ル マ ン ・ ゲ ー リ ン グ に よ っ て 買 収 さ れ た が 、 1 9 4 8 年 に 美 術 史 家 の ロ ド ル フ ォ ・ シ ビ エ ロ ︵ 英 語 版 ︶ に よ っ て 回 収 さ れ た [ 16 ] [ 17 ] 。
フィラデルフィア美術館版
ヘイスティング版
ヘイスティングズ侯爵 のコレクションに所属していた作品。現在はロンドンのギブス・コレクションに所蔵されている[15] 。
腰巻のレダ
現在は所在不明の作品である。裏面に18世紀頃の「Leonardo dauincj」の銘記がある。2000年にチューリッヒで開かれた展覧会に出品された以外はほとんど何も知られていない。しかしレダと白鳥のポーズや卵と子供たちの配置などからレオナルド派のレダと白鳥から派生した作品であることは明白である。レダの腰の布は本作品が猥褻と考えられた後代の加筆と思われる[19] 。
ルーヴル美術館の素描による模写
ルーヴル美術館所蔵の模写はレオナルド・
ダ・ヴィンチの『レダと白鳥』に基づく素描による模写である。制作者の名前は伝わっていないが、おそらく16世紀頃のもとされている。一説によると作者は彫刻家バッチョ・バンディネッリで、1530年頃にバルジェロ美術館 のブロンズ製の立像の『レダと白鳥』を制作している。ただし白鳥の位置やレダの顔と手の向きがこの素描とは左右逆である[19] 。
ラファエロの模写
ロイヤル・コレクションとして、ウィンザー城の王立美術館に所蔵されている作品である。青年時代のラファエロがおそらくレオナルド・ダ・ヴィンチのオリジナルに基づいて制作した素描による模写である。こうした模写を行うことでラファエロがレオナルド・ダ・ヴィンチの芸術を吸収したことはよく知られており、ラファエロが本作品から影響を受けて『ガラテイアの勝利 』といった作品を制作したことが指摘されている。
ジャンピエトリーノ『ヴィーナスとキューピッド』
この作品はミラノ のネンビリーニ・コレクションに所蔵されている。レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子ジャンピエトリーノに帰属されている本作品は、ヴィーナスのポーズにレダとの明確な影響を見ることができる。ジャンピエトリーノの他の作品との関連などから1510年代半ばの作と推定している[20] 。
フィラデルフィア版
ヘイスティング版
ルーヴル美術館所蔵の模写
ジャンピエトリーノの『ヴィーナスとキューピッド』
レダの頭部の習作
レダの頭部の習作(Inv no.12516)。
レオナルド・ダ・ヴィンチのレダの頭部の習作が何点か残されている。その多くはロイヤル・コレクションの一部としてウィンザー城の王立図書館に所蔵されている。
レダの頭部の習作(ウィンザー城:Inv no.12515)
紙 に ペ ン と イ ン ク で 描 か れ て い る 。 髪 は 顔 の 左 側 面 に 緩 め の 小 環 で コ イ ル 状 に 編 ま れ て い る 。 髪 に 比 べ て 顔 の 質 が 低 く 、 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ は 顔 を 空 白 の ま ま に し た 可 能 性 が あ り 、 後 か ら 弟 子 が 描 き 込 ん だ こ と が 考 え ら れ る [ 21 ] 。 左 側 に ﹁ q u e s t a s i p o / l e v a r e e p p o / r e s a n z a g u / a s s t a r s i ﹂ と メ モ さ れ て い る [ 22 ] 。
レダの頭部の習作(ウィンザー城:Inv no.12516)
紙 に ペ ン と イ ン ク 、 黒 チ ョ ー ク で 描 か れ て い る 。 1 枚 の 紙 片 に レ ダ の 頭 部 が 4 つ の 角 度 か ら 素 描 さ れ て い る 。 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ の 関 心 を 捉 え て い た 者 は 女 性 の 表 情 と い う よ り は 髪 型 の 方 に あ る 。 非 常 に 緻 密 で あ る た め 、 実 物 を 見 て 描 い た も の で な い と さ れ て い る [ 22 ] 。
レダの頭部の習作(ウィンザー城:Inv no.12517)
紙 に ペ ン と イ ン ク 、 黒 チ ョ ー ク で 描 か れ て い る 。 髪 は 顔 の 左 側 面 に 三 つ 編 み で ひ だ 状 に 配 置 さ れ て い る 。 1 2 5 1 5 と 同 様 、 髪 に 比 べ て 顔 の 質 が 低 く 、 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ヴ ィ ン チ は 顔 を 空 白 の ま ま 残 し 、 後 か ら 弟 子 が 描 き 込 ん だ こ と が 考 え ら れ る [ 23 ] 。
レダの頭部の習作(ウィンザー城:Inv no.12518)
紙にペンとインク、黒チョークで描かれている。髪は手の込んだ三つ編みでコイル状に固定されている[24] 。
レダの頭部の習作(スフォルツェスコ城美術館版)
スフォルツェスコ城美術館 に所蔵されているもので、紙に赤チョークで描かれている。美術史家ジョヴァンニ・モレッリ は1890年にソドマに帰属したが、アドルフォ・ヴェントゥーリ (英語版 ) は1921年にレオナルド・ダ・ヴィンチに帰属した。カルロ・ペドレッティ (英語版 ) やアレッサンドロ・ヴェッツォージ (英語版 ) はヴェントゥーリを支持したが、異論も多く、ピエトロ・マラーニ(Pietro Marani)やマリア・テレーザ・フィオリオ(Maria Teresa Fiorio)たちはレオナルド・ダ・ヴィンチからの模写と考えており、フィオリオはジャンピエトリーノの作ではないかとしている[22] 。
脚注
(一) ^ D a n i e l A r a s s e , L é o n a r d d e V i n c i , l e r y t h m e d u m o n d e , H a z a n p . 4 2 0 - 4 2 8 .
(二) ^ a b c d 池 上 英 洋 、 p . 8 3 - 8 4 。
(三) ^ M s W i n d s o r 1 2 8 8 8 1 .
(四) ^ ﹃ 神 話 ・ 神 々 を め ぐ る 女 た ち 全 集 美 術 の な か の 裸 婦 3 ﹄ p . 9 0 。
(五) ^ M a n u s c r i t c o n s e r v é à l a b i b l i o t h è q u e L a u r e n t i e n n e d e F l o r e n c e , p u b l i é p a r A n d r é C h a s t e l d a n s L é o n a r d d e V i n c i , T r a i t é d e l a p e i n t u r e , B e r g e r - L e v r a u l t , 1 9 8 7 , p . 3 4 - 3 8
(六) ^ G i o v a n n P a o l o L o m a z z o , T r a t t a t o d e l l a P i t t u r a , 1 5 8 4 .
(七) ^ M a n u s c r i t c o n s e r v é à l a B i b l i o t h è q u e B a r b e r i n i , c i t é p a r F r a n ç o i s e V i a t t e d a n s L é o n a r d d e V i n c i , D e s s i n s e t m a n u s c r i t s , r m n , 2 0 0 3 , p . 3 0 1 - 3 0 4 .
(八) ^ W a l l a c e , R o b e r t ( 1 9 6 6 ) . T h e W o r l d o f L e o n a r d o : 1 4 5 2 – 1 5 1 9 . N e w Y o r k : T i m e - L i f e B o o k s . p p . 1 2 7 , 1 6 0 , 1 6 1 .
(九) ^ É t u d e s d e c h e v a l c a b r é e t d e c a v a l i e r s ; L é d a e t l e C y g n e ( r e c t o ) ; M o r t i e r s t i r a n t d e s b o u l e t s ( v e r s o ) . P l u m e , e n c r e e t p i e r r e n o i r e , W i n d s o r , R L 1 2 3 3 7 .
(十) ^ F r a n ç o i s e V i a t t e , i n L é o n a r d d e V i n c i , D e s s i n s e t m a n u s c r i t s , R M N 2 0 0 3 , p . 3 0 1 - 3 0 4 .
(11) ^ M s A , f . 1 1 0 r .
(12) ^ “ R e c t o : A h o r s e a n d r i d e r , a n d s t u d i e s f o r L e d a . V e r s o : M o r t a r s b o m b a r d i n g a f o r t r e s s c . 1 5 0 3 - 4 ” . ロ イ ヤ ル ・ コ レ ク シ ョ ン ・ ト ラ ス ト 公 式 サ イ ト . 2 0 2 1 年 8 月 15 日 閲 覧 。
(13) ^ a b c 池 上 英 洋 、 p . 6 9 - 7 0 。
(14) ^ F r a n k Z ö l l n e r , L é o n a r d d e V i n c i , t o u t l ’ œ u v r e p e i n t e t g r a p h i q u e , T a s c h e n , 2 0 0 3 , p . 2 4 6 .
(15) ^ a b c d 池 上 英 洋 、 p . 6 9 。
(16) ^ R o d o l f o S i v i e r o , h i s t o r i e n d ' a r t a y a n t é t u d i é à F l o r e n c e e t à B e r l i n ; L ' o p e r a r i t r o v a t a : o m a g g i o a R o d o l f o S i v i e r o . F i r e n z e , C a n t i n i , 1 9 8 4 .
(17) ^ 池 上 英 洋 、 p . 6 8 。
(18) ^ “ L e d a a n d t h e S w a n ” . フ ィ ラ デ ル フ ィ ア 美 術 館 公 式 サ イ ト . 2 0 2 1 年 7 月 21 日 閲 覧 。
(19) ^ a b 池 上 英 洋 、 p . 7 0 。
(20) ^ 池 上 英 洋 、 p . 7 1 。
(21) ^ “ T h e h e a d o f L e d a c . 1 5 0 5 - 6 , R C I N 9 1 2 5 1 5 ” . ロ イ ヤ ル ・ コ レ ク シ ョ ン ・ ト ラ ス ト 公 式 サ イ ト . 2 0 2 1 年 7 月 21 日 閲 覧 。
(22) ^ a b c 池 上 英 洋 、 p . 6 7 - 6 8 。
(23) ^ “ T h e h e a d o f L e d a c . 1 5 0 5 - 6 , R C I N 9 1 2 5 1 7 ” . ロ イ ヤ ル ・ コ レ ク シ ョ ン ・ ト ラ ス ト 公 式 サ イ ト . 2 0 2 1 年 7 月 21 日 閲 覧 。
(24) ^ “ T h e h e a d o f L e d a c . 1 5 0 5 - 6 , R C I N 9 1 2 5 1 8 ” . ロ イ ヤ ル ・ コ レ ク シ ョ ン ・ ト ラ ス ト 公 式 サ イ ト . 2 0 2 1 年 7 月 21 日 閲 覧 。
参考文献