並木和一
経歴・人物
並木衛七の長男として信濃国佐久郡野沢村︵現・佐久市野沢︶に生まれ、1883年︵明治16年︶12月、家督を相続する[1][2][4]。上京し、鈴木松塘に漢籍を学び、帰郷して松本中学校︵現・長野県松本深志高等学校︶に学ぶ[1]。村会議員を1期、町会議員を4期、郡会議員を経て、1903年︵明治36年︶長野県会議員となり、さらに翌年、長野県多額納税者として貴族院議員に互選された[1]。議員を6年務め、その間、請願委員、決算委員を歴任した[1]。
大地主として農業を営み、1924年︵大正13年︶時点で水田を57.4ヘクタール、畑を10.9ヘクタール郡内の3箇村に所有し、小作人は188戸に及んだ[1]。戦後の農地解放では約120ヘクタールを解放し、さらに農業倉庫を建設、稲作の改良を行い野沢平の米の生産高を2割余増やすなど郷里の農業発展に尽力した[1]。
ほか、日露戦争に出征した功により、勲四等旭日小綬章を叙された[4]。
脚注
参考文献
●人事興信所 編﹃人事興信録 第4版﹄人事興信所、1915年。
●人事興信所 編﹃人事興信録 第8版﹄人事興信所、1928年。
●赤羽篤ほか 編﹃長野県歴史人物大事典﹄郷土出版社、1989年。ISBN 4876631263。
●衆議院・参議院編﹃議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑﹄大蔵省印刷局、1990年。