昭和
概説
編集大正天皇の崩御に伴い、皇太子裕仁親王が皇位を継承し、即日「昭和」と改元された。昭和天皇(裕仁親王)の崩御に伴い、皇太子明仁親王(現上皇)が皇位を継承し、「平成」と改元されることとなって幕を閉じた。
最も長く続いた日本の元号で64年を数えるが、「元年」と「64年」は共に7日間しか使用されなかったため実際の期間は62年と14日となる。外国のものを含めても最長の元号であり、歴史上60年以上を数えた元号は、昭和の他には、清の康熙(61年)と乾隆(60年)しかない。
最長の元号である上、この期間は第二次世界大戦(太平洋戦争)が終結した1945年(昭和20年)9月2日や終戦記念日の同年8月15日を境に、それ以前の約19年間は戦前(および戦中)、以後の43年余は戦後と、社会の価値観・諸制度や政治体制が大きく異なる時代に分かれ、世界史上の時代区分もそれぞれ近代・現代と別になっており、一体的に捉えることは難しい。
改元
編集開始
編集終了
編集1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分、昭和天皇が崩御。
第一次世界大戦後
編集金融恐慌
編集田中内閣と山東出兵
編集普通選挙
編集満洲事変
編集日中戦争
編集第二次世界大戦
編集太平洋戦争前夜
編集太平洋戦争
編集原子爆弾の投下と終戦
編集戦後のGHQによる占領時代(1945-1952)
編集概観
編集太平洋戦争後、1952年(昭和27年)4月28日の日本国との平和条約発効まで連合国軍の軍事占領下に置かれたが、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ / SCAP) の軍政は布かれず、アメリカ政府による直接的な統治があった沖縄・奄美群島・トカラ列島の下7島・歯舞群島・小笠原諸島と、ソ連によって占領された歯舞群島・千島列島・南樺太を除き日本国政府が行う間接統治が行われた。出版停止やプレスコードと称される言論統制・検閲などを通じて軍国主義・反米・反連合国とGHQにみなされたものは報道できなかった。
GHQによる占領
編集日本社会党政権による社会主義政策
編集生活保護
編集1946年(昭和21年)生活保護法を成立させて、1950年(昭和25年)に全面改正。同年生活保護制度の運用を開始するなどの政策が行われた[33]。
部落解放運動
編集昭和20年代に全国水平社が改組して部落解放同盟となった。日本社会党と協力して部落解放運動を行い、格差改善と集落の改良事業を行った。
労働運動の興隆と沈滞
編集騒乱事件
編集1948年(昭和23年)4月に阪神教育事件、独立回復後の1952年(昭和27年)には5月1日に血のメーデー事件、同年6月に吹田事件、続く7月には大須事件があった[37]。
講和後・高度経済成長期
編集戦後経済史の流れ
編集家電ブーム
編集昭和20年代以降、以下の家電製品がヒット商品となった。
- 三種の神器と呼ばれ、一般家庭の主婦たちの憧れの的となった。
- 高度経済成長期には新三種の神器として以下の家電が3Cと呼ばれて憧れのヒット商品となった。
- 三種の神器以外に都市部を中心に普及した家電は以下である。
昭和元禄文化
編集防衛問題
編集食事
編集住宅医療などの生活問題
編集女性史
編集金の卵の時代
編集左翼運動
編集社会問題(公害・福祉・交通戦争)
編集日本復帰
編集エネルギー問題
編集高度経済成長の進展とともに燃料が石炭から石油へ転換するエネルギー革命が開始されて、これまで有力産業の一つであった炭鉱業界の合理化が迫られて1959年(昭和34年)〜1960年(昭和35年)に三井三池争議があった[72]。1973年(昭和48年)の第一次オイルショック(石油危機)に伴い、狂乱物価抑制のための総需要抑制策が執行されて、高度経済成長は終焉することとなった。田中角栄内閣は石油や天然ガスなど海外からの資源に依存する火力発電から脱却して原子力発電を推進するために、電源開発促進税法・特別会計に関する法律・発電用施設周辺地域整備法の電源三法を成立させた[73]。
安定成長期とその後のバブル景気(1973-1989)
編集公共事業によるケインズ政策の実施
編集派閥政治と保革の対立
編集芸能史
編集教育問題
編集教育面では、受験競争・偏差値教育・学歴社会・管理教育が進行して、1986年(昭和61年)の中野富士見中学いじめ自殺事件で注目されたいじめによる自殺問題[78][79]・少年犯罪・非行、歴史教科書問題、子供の間でのゲームセンターや「ファミリーコンピュータ」の流行まで、教育問題がマスコミから非難された。経済界の要望で高専設置の教育改革と、詰め込み教育から個性重視教育への転換とゆとり教育の必要性が盛んに唱えられた。
新自由主義への移行とバブル時代
編集略年表
編集昭和初期から終戦まで
編集- 1926年︵大正15年/昭和元年︶ 12月25日に大正天皇が崩御したことを受けて、裕仁親王が践祚、12月25日から昭和と改元。 1927年︵昭和2年︶ 昭和金融恐慌勃発。南京事件。第1次若槻内閣総辞職。田中義一内閣︵政友会内閣︶成立。緊急勅令で金銭債務の支払延期等公布施行︵モラトリアム︶。金融恐慌対策のため第53回臨時議会招集。山東出兵#第一次出兵。東方会議。岩波文庫刊行開始。12月30日、上野・浅草間に日本最初の地下鉄が開通。 1928年︵昭和3年︶ 最初の男子普通選挙︵第16回衆議院議員総選挙︶が実施される[注8]。三・一五事件‥1道3府27県に共産党・労農党・評議会・無産青年同盟の関係者など千数百名を治安維持法違反容疑で検挙する。第55回帝国特別議会にて治安維持法の改正案を提出して審議未了となる。閣議で第2次山東出兵を決定。済南事件。張作霖爆殺事件・満洲某重大事件。緊急勅令で治安維持法改正公布施行︵死刑罪・目的遂行罪追加︶。アムステルダムオリンピックで織田幹雄︵三段跳び︶・鶴田義行︵水泳200メートル平泳ぎ︶が日本選手初めての金メダル、女子では人見絹枝が800メートルで銀メダルを獲得し女子初のメダリストとなる。昭和天皇即位の礼。 1929年︵昭和4年︶ 世界恐慌の発生。田中義一内閣総辞職、浜口雄幸内閣︵民政党内閣︶成立。 1930年︵昭和5年︶ 昭和恐慌。金輸出解禁。ロンドン海軍軍縮会議開催。第17回衆議院議員総選挙[注9]。婦人に公民権を認める市制・町村制改正案、衆議院で可決、貴族院で審議未了。10月、霧社事件。11月、濱口首相遭難事件。 1931年︵昭和6年︶ 中村大尉事件。柳条湖事件、満洲事変勃発。金輸出再禁止。三月事件。十月事件。第2次若槻内閣成立。犬養内閣成立。 1932年︵昭和7年︶ 血盟団事件。第18回衆議院議員総選挙[注10]。リットン調査団来日。3月1日、満洲国建国宣言。五・一五事件。犬養内閣総辞職。齋藤内閣成立。日満議定書締結、満洲国承認。第一次上海事変。 1933年︵昭和8年︶ ヨーヨーが流行。東京音頭がヒット。昭和三陸地震発生。12月23日に継宮明仁親王︵生まれながらの皇太子となり、後に第125代天皇︶が誕生した。3月国際連盟脱退。5月滝川事件、塘沽停戦協定︵柳条湖事件に始まる満洲事変の軍事的衝突停止︶。7月神兵隊事件。 1934年︵昭和9年︶ 室戸台風襲来。ベーブ・ルースら米大リーグ選抜チームが来日。陸軍士官学校事件。帝人事件、斎藤内閣総辞職。7月岡田内閣成立。 1935年︵昭和10年︶ 天皇機関説事件。相沢事件。吉川英治﹃宮本武蔵﹄連載開始︵同14年に完結︶。 1936年︵昭和11年︶ 1月15日、日本全権、ロンドン軍縮会議からの脱退を通告。第19回衆議院議員総選挙[注11]。二・二六事件。岡田啓介内閣総辞職。広田弘毅に組閣命令下る。軍部大臣現役武官制が復活。日独防共協定締結。綏遠事件。西安事件。 1937年︵昭和12年︶ 広田内閣閣内不統一のため総辞職。林銑十郎内閣成立。第20回衆議院議員総選挙[注12]。林内閣総辞職。第1次近衛内閣成立。7月7日、盧溝橋事件、日中戦争︵支那事変︶勃発。7月11日、現地停戦協定成立。政府河北派兵を声明。7月28日、日本軍、河北で総攻撃開始。8月13日、上海で日中両軍交戦︵第二次上海事変︶。8月15日、全面戦争に突入。9月﹁挙国一致・尽人報國・堅忍持久・八紘一宇﹂をスローガンに国民の戦争協力を促す国民精神総動員運動が始まる。10月6日、国際連盟総会、日本の行動非難の決定を採決。11月20日、大本営設置。11月日独伊防共協定締結。政府、朝鮮で皇国臣民ノ誓詞を配布する。内閣情報部が国民歌募集、﹁愛国行進曲﹂演奏発表会、レコード100万枚売れる。白白教事件。日本無産党が治安維持法により結社禁止︵第一次人民戦線事件︶。12月13日、日本軍が南京を占領。南京事件。 1938年︵昭和13年︶ 近衛声明。4月国家総動員法制定。徐州会戦。7月、満洲国東南端で張鼓峰事件勃発。1940年東京オリンピックの中止決定。8月武漢作戦。 1939年︵昭和14年︶ 1月平沼内閣成立。重慶爆撃。5月ソ連・モンゴル連合軍と満蒙国境付近で軍事衝突、日本側大敗︵ノモンハン事件︶。7月国民徴用令制定。8月独ソ不可侵条約制定によって広田内閣以来の親独政策の根拠を失い、平沼は﹁欧州情勢は複雑怪奇﹂という言葉を残して総辞職。9月1日、ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦始まる。阿部内閣成立。賃金統制令・価格等統制令︵九・一八停止令︶公布。 1940年︵昭和15年︶ 米内内閣成立。紀元2600年記念祝典。3月汪兆銘政権成立︵11月日華基本条約で政権を承認︶。7月第二次近衛内閣成立。9月日独伊三国軍事同盟締結、北部仏印進駐。10月大政翼賛会結成。11月大日本産業報国会結成。 1941年︵昭和16年︶ ゾルゲ事件。4月日ソ中立条約締結、日米交渉開始。7月、第三次近衛内閣成立、南部仏印進駐。ABCD包囲網によって対日石油輸出全面禁止。御前会議で帝国国策遂行要領決定。10月東條内閣成立。ハル・ノートが提示される。12月8日、南方作戦︵マレー作戦・真珠湾攻撃︶、太平洋戦争開戦。マレー沖海戦。戦艦大和竣工。言論、出版、集会、結社等臨時取締法公布、施行。「太平洋戦争の年表」も参照1942年︵昭和17年︶ シンガポールの戦い、フィリピンの戦い。4月18日、ドーリットル空襲で米陸軍機が東京府東京市、神奈川県川崎市、横須賀市、愛知県名古屋市、三重県四日市市、兵庫県神戸市を初空襲する。第21回衆議院議員総選挙[注13]。6月4日、ミッドウェー海戦。 7月1日、関門鉄道トンネル開業︵貨物列車のみ︶。戦艦武蔵竣工。ガダルカナル島の戦い。 1943年︵昭和18年︶ 山本五十六戦死(海軍甲事件)。東京市と東京府が廃止、東京都が設置。日本軍ガダルカナル島撤退。アッツ島の戦い。ソロモン諸島の戦い。学徒出陣。 1944年︵昭和19年︶ 大陸打通作戦、インパール作戦、マリアナ沖海戦、グアムの戦い、レイテ島の戦い、フィリピンの戦い (1944-1945年)。サイパン島陥落。小磯内閣成立。対馬丸事件。学童疎開。昭和東南海地震。B-29による東京への空襲が始まる。 1945年︵昭和20年︶ ヤルタ会談。硫黄島の戦い、占守島の戦い。地方総監府を設置して本土決戦に備える。終戦まで各地で大規模な空襲が行われる。 3月9日-10日 東京大空襲 3月 名古屋大空襲、大阪大空襲、神戸大空襲 4月1日 米軍が沖縄本島に上陸して地上戦となる︵沖縄戦︶。 4月7日 鈴木貫太郎内閣成立。 5月 横浜大空襲 6月 静岡大空襲 6月23日 沖縄で日本軍の組織的戦闘が終わる︵慰霊の日︶。 7月 北海道空襲 8月 富山大空襲 8月6日 広島市への原子爆弾投下 8月8日 ソ連が日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告。千島列島・樺太に侵攻。 8月9日 長崎市への原子爆弾投下 8月10日 ポツダム宣言受諾の決定 8月14日 ポツダム宣言受諾 8月15日 宮城事件。玉音放送により国民に終戦が告げられる︵終戦の日︶。 9月2日 降伏文書調印 9月17日被爆地の広島市などを中心に枕崎台風襲来
昭和中期(終戦後と高度経済成長期まで)の年表
編集 - 1946年︵昭和21年︶ 1月1日に天皇が人間宣言。通化事件。食糧メーデー。[86]11月3日、日本国憲法公布。農地改革。公職追放。12月21日、昭和南海地震。 1947年︵昭和22年︶ 二・一ゼネスト︵中止︶。5月3日、日本国憲法施行。皇室典範及び皇室経済法施行、旧皇族の11宮家51人が皇籍離脱。地方自治法成立。伊豆諸島が本土復帰。 1948年︵昭和23年︶ 昭和電工事件。朝鮮の済州島で大量虐殺︵済州島四・三事件︶、島民が日本に多数流入。阪神教育事件。福井地震発生。帝銀事件。巣鴨拘置所で東条英機、広田弘毅ら7名の死刑執行。 1949年︵昭和24年︶ ドッジ・ライン実施。下山事件。三鷹事件。松川事件が相次いで発生。[87] 韓国から対馬返還要求[88]。湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受賞。 1950年︵昭和25年︶ 朝鮮戦争勃発。海上保安庁掃海部隊を朝鮮半島近海に派遣する[89]。日本は朝鮮特需により経済復興が加速。警察予備隊︵現・陸上自衛隊︶発足。 1951年︵昭和26年︶ サンフランシスコ講和条約、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約調印。ラジオの民間放送が開始。 1952年︵昭和27年︶ トカラ列島が本土復帰。日米行政協定が締結される。李承晩ラインが引かれる。4月28日に日本国との平和条約が発効、主権回復。インドと平和回復︵後にインドネシア・ビルマも平和条約締結︶。 1953年︵昭和28年︶ テレビ本放送開始。力道山らが日本プロレスを設立、プロレスブーム到来。奄美群島が本土復帰。韓国に竹島が占拠される。 1954年︵昭和29年︶ 1月2日二重橋事件。3月1日にビキニ環礁で水爆実験が行われ、第五福竜丸の乗組員が被曝。洞爺丸事故。自衛隊創設。 1955年︵昭和30年︶ 自由党と日本民主党が合同して自由民主党、右派と左派が合併した日本社会党の成立︵55年体制、保守合同[90]・社会党再統一︶。神武景気。原子力基本法成立。紫雲丸事故。トヨタ・クラウン発売開始。 1956年︵昭和31年︶ 原子力委員会設置。日本原子力研究所設置。ソビエト連邦と国交回復、日ソ共同宣言。国際連合加入。 1957年︵昭和32年︶ なべ底不況。科学技術庁設置。五千円紙幣#C号券発行。 1958年︵昭和33年︶ 岩戸景気。東京タワーが竣工。長嶋茂雄が読売巨人軍へ入団。一万円紙幣#C号券発行。南海丸遭難事故。チキンラーメン発売開始。スバル・360発売。 1959年︵昭和34年︶ 4月10日に皇太子明仁親王︵後の第125代天皇︶が正田美智子と結婚︵ミッチー・ブーム︶。王貞治が読売巨人軍に入団。伊勢湾台風発生。新潟日赤センター爆破未遂事件。 1960年︵昭和35年︶ 2月23日に浩宮徳仁親王︵後の天皇︶誕生。6月19日に︵新︶日米安全保障条約改定発効。その反対勢力による安保闘争起こる。7月19日、池田勇人内閣発足し﹃所得倍増計画﹄を打ち出す。浅沼稲次郎暗殺事件。 1961年︵昭和36年︶ 農業基本法制定。嶋中事件。 1962年︵昭和37年︶ オリンピック景気。三河島事故。司馬遼太郎﹃竜馬がゆく﹄連載開始︵同41年完結︶。 1963年︵昭和38年︶ 日本初の原子力発電所、東海発電所稼働。日本初の30分テレビアニメシリーズ[注14]﹃鉄腕アトム﹄の放映開始。 1964年︵昭和39年︶ 名神高速道路・首都高速道路、そして世界初の高速鉄道である東海道新幹線開通。10月10日-10月24日、東京オリンピック開催。 1965年︵昭和40年︶ 日韓基本条約調印。証券不況︵構造不況︶。朝永振一郎がノーベル物理学賞受賞。 1966年︵昭和41年︶ 日本の総人口が1億人を突破。いざなぎ景気。ビートルズ来日︵前座をザ・ドリフターズが務める︶。三里塚闘争開始。 1967年︵昭和42年︶ 初の建国記念の日の適用。公害対策基本法公布。四日市ぜんそく裁判が提訴される。 1968年︵昭和43年︶革新政党などの反対の中、佐世保基地にエンタープライズが直航、佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争発生。イタイイタイ病が公害病として認定。小笠原返還協定により、小笠原諸島などの南方諸島が返還される。川端康成が日本人初のノーベル文学賞受賞。東京都府中市で、三億円事件発生。漫画﹃ゴルゴ13﹄の連載開始。1969年︵昭和44年︶ テレビアニメ﹃サザエさん﹄の放映開始。お笑い番組﹃8時だョ!全員集合﹄の放送開始。東名高速道路全線開通。東大安田講堂事件発生。日本の佐藤栄作首相とアメリカのリチャード・ニクソン大統領が面会。 1970年︵昭和45年︶ 3月14日-9月13日に日本万国博覧会︵大阪万博︶開催。よど号ハイジャック事件。三島事件。
昭和後期(ポスト高度経済成長期からバブルまで)の年表
編集 - 1971年︵昭和46年︶ 7月1日に環境庁設置。ニクソン・ショック。カップヌードル発売。円が変動相場制になり、日本の好景気に一時的な不況をもたらす。 1972年︵昭和47年︶ 札幌オリンピック開催。あさま山荘事件。山陽新幹線の新大阪駅-岡山駅間が開通。テルアビブ空港乱射事件。千日デパート火災。沖縄返還協定により、沖縄︵琉球諸島及び大東諸島︶の施政権がアメリカ合衆国から日本に復帰する︵沖縄返還︶。奈良県明日香村にある高松塚古墳で、極彩色の壁画が発見される。 ●1973年: 日本がG5︵現在のG7︶の一部となる。日本列島改造論。日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明︵日中共同声明、台湾断交︶。アントニオ猪木が新日本プロレスを、ジャイアント馬場が全日本プロレスをそれぞれ設立。 1973年︵昭和48年︶ 中東戦争による第一次オイルショック。金大中事件。大洋デパート火災。 1974年︵昭和49年︶ 連続企業爆破事件。田中金脈問題。セブン-イレブン日本第1号店開店。 1975年︵昭和50年︶ 3月10日に山陽新幹線の岡山駅-博多駅間が開通。沖縄国際海洋博覧会開催。 1976年︵昭和51年︶ ロッキード事件。王貞治がベーブ・ルースの本塁打記録を抜く。 1977年︵昭和52年︶ 北朝鮮による日本人拉致問題が盛んになる。王貞治#本塁打‥ハンク・アーロンの本塁打記録を抜き世界一となる。ダッカ日航機ハイジャック事件。 1978年︵昭和53年︶ 日中平和友好条約調印。新東京国際空港︵現・成田国際空港︶開港。第一回隅田川花火大会。 1979年︵昭和54年︶ イランイスラム革命による第二次オイルショック。テレビアニメ﹃ドラえもん﹄︵第2期︶の放送開始。東京サミット。インベーダーゲームが流行[91]。日本坂トンネル火災事故。元号法成立。 1980年︵昭和55年︶ ハプニング解散。大平正芳が急死。原宿で竹の子族が出現[92]。新宿西口バス放火事件。年間自動車生産数が千万台を超え、日本がアメリカに次ぐ自動車生産国となる。読売ジャイアンツの王貞治引退。 1981年︵昭和56年︶ 中国残留孤児が初来日する。建築基準法の施行令改正︵新しい耐震基準︶。神戸ポートアイランド博覧会。福井謙一がアジア人初のノーベル化学賞受賞。テレビアニメ﹃Dr.スランプ アラレちゃん﹄放送開始。高視聴率をマーク。﹁んちゃ﹂などの﹃アラレ語﹄や、関連商品が大流行・大ヒットする。 1982年︵昭和57年︶ ホテルニュージャパン火災。東北新幹線︵大宮駅-盛岡駅間︶、上越新幹線︵大宮駅-新潟駅間︶開通。3月18日に川崎公害裁判が開始。 1983年︵昭和58年︶ 東京ディズニーランド開園。日本海中部地震発生。おしんブーム。任天堂のテレビゲーム機﹁ファミリーコンピュータ﹂誕生。三宅島の雄山が噴火。奈良県明日香村にあるキトラ古墳の石室内の彩色壁画に玄武が発見される。ロッキード事件の裁判で、田中角栄元首相に対し、懲役4年、追徴金5億円の有罪判決が下る。 1984年︵昭和59年︶ グリコ・森永事件が発生。新しい紙幣が発表され、一万円札の表面は福沢諭吉、 五千円札の表面は新渡戸稲造、そして千円札の表面は夏目漱石に変更された。高円宮家創設。 1985年︵昭和60年︶ AIDSの患者が初めて公的に認知される。東北新幹線と上越新幹線・大宮駅-上野駅間が開通。4月1日、日本電信電話公社・日本専売公社が民営化されて、日本電信電話︵NTT︶・日本たばこ産業︵JT︶が発足。つくば科学博開催。8月12日、日本航空123便墜落事故が発生し、乗客乗員524人中520人死亡で、単独機の航空事故の死亡者数として世界最多を記録。G5でプラザ合意︵昭和60年の円高不況︶。任天堂ゲームソフト﹃スーパーマリオブラザーズ﹄発売、爆発的なヒットとなる。 1986年︵昭和61年︶ 男女雇用機会均等法執行。東京サミット開催。日本社会党の土井たか子が議会政党としては日本初の女性党首に就任。伊豆大島の三原山が噴火したが、住民は先に避難していた。 1987年︵昭和62年︶ バブル景気︵平成景気︶が本格化。国鉄分割民営化で国鉄が民営化し、JRグループが発足され、JRとして七つの会社に分かれる。石原裕次郎死去。 1988年︵昭和63年︶ 青函トンネル、瀬戸大橋が開業。リクルート事件が問題化。テレビアニメ﹃それいけ!アンパンマン﹄の放映開始。海上自衛隊のなだしお潜水艦が、遊漁船の第一富士丸と衝突し、遊漁船が沈没︵なだしお事件︶。 1989年︵昭和64年/平成元年︶ 女子高生コンクリート詰め殺人事件︵発覚は1989年 (平成元年)3月︶。1月7日に昭和天皇が崩御し、皇太子明仁親王の第125代天皇即位に伴い、翌8日に平成と改元される。(戦後初の改元)
西暦との対照表
編集昭和 元年 2年 3年 4年 5年 6年 7年 8年 9年 10年 西暦 1926年 1927年 1928年 1929年 1930年 1931年 1932年 1933年 1934年 1935年 干支 丙寅 丁卯 戊辰 己巳 庚午 辛未 壬申 癸酉 甲戌 乙亥 昭和 11年 12年 13年 14年 15年 16年 17年 18年 19年 20年 西暦 1936年 1937年 1938年 1939年 1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年 干支 丙子 丁丑 戊寅 己卯 庚辰 辛巳 壬午 癸未 甲申 乙酉 昭和 21年 22年 23年 24年 25年 26年 27年 28年 29年 30年 西暦 1946年 1947年 1948年 1949年 1950年 1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 干支 丙戌 丁亥 戊子 己丑 庚寅 辛卯 壬辰 癸巳 甲午 乙未 昭和 31年 32年 33年 34年 35年 36年 37年 38年 39年 40年 西暦 1956年 1957年 1958年 1959年 1960年 1961年 1962年 1963年 1964年 1965年 干支 丙申 丁酉 戊戌 己亥 庚子 辛丑 壬寅 癸卯 甲辰 乙巳 昭和 41年 42年 43年 44年 45年 46年 47年 48年 49年 50年 西暦 1966年 1967年 1968年 1969年 1970年 1971年 1972年 1973年 1974年 1975年 干支 丙午 丁未 戊申 己酉 庚戌 辛亥 壬子 癸丑 甲寅 乙卯 昭和 51年 52年 53年 54年 55年 56年 57年 58年 59年 60年 西暦 1976年 1977年 1978年 1979年 1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年 干支 丙辰 丁巳 戊午 己未 庚申 辛酉 壬戌 癸亥 甲子 乙丑 昭和 61年 62年 63年 64年 西暦 1986年 1987年 1988年 1989年 干支 丙寅 丁卯 戊辰 己巳 - 元年と最終年の期間
- 昭和元年(1926年): 12月25日〜12月31日〈7日間〉
- 昭和64年(1989年): 1月1日〜1月7日〈7日間〉
現代における昭和
編集●国民の祝日に関する法律が一部改正され、2007年︵平成19年︶から毎年4月29日は、昭和の日に変更された[注15]。祝日法には﹁昭和の日-激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす﹂と定められている。 ●﹁昭和ノスタルジー﹂、あるいは﹁昭和レトロ﹂という風潮が存在し、戦前期︵昭和一桁・昭和10年代︶のアール・デコ建築や、高度経済成長期︵昭和30年代から昭和40年代︶の古い町並みを活かして観光地化を進めている町もある。だがその一方で、ただの懐古主義に浸っているだけという批判もある。また、平成末期以降は﹁古臭い﹂﹁時代遅れ﹂﹁前世紀の遺物﹂というネガティブな意味合いを込めた代名詞として﹁昭和﹂という言葉が使われるケースも出現している。 ●昭和生まれの総人口は1984年︵昭和59年︶に1億人を突破して、その後も1億人以上を維持していたが、昭和生まれが高齢化したことによって死亡が増加した影響で、2007年︵平成19年︶に昭和生まれの日本の総人口が1億人割れをして、全人口比では78.2%︵9997万人︶となり、平成生まれが、全人口比で16.3%︵2081万人︶となり、平成生まれの人口が2000万人を突破した。 ●昭和生まれは、以下の世代に区分されている。[93] (一)昭和一桁世代︵1926年︵昭和元年︶生まれ〜1934年︵昭和9年︶生まれ︶ (二)焼け跡世代︵1935年︵昭和10年︶生まれ〜1946年︵昭和21年︶生まれ︶ (三)全共闘世代︵1940年︵昭和15年︶生まれ〜1949年︵昭和24年︶生まれ︶ (四)団塊の世代︵1947年︵昭和22年︶生まれ〜1949年︵昭和24年︶生まれ︶ (五)しらけ世代︵1950年︵昭和25年︶生まれ〜1964年︵昭和39年︶生まれ︶ (六)新人類世代︵1955年︵昭和30年︶生まれ〜1964年︵昭和39年︶生まれ︶ (七)バブル世代︵1965年︵昭和40年︶生まれ〜1969年︵昭和44年︶生まれ︶ (八)氷河期世代︵1970年︵昭和45年︶生まれ〜1982年︵昭和57年︶生まれ︶ (九)団塊ジュニア世代︵1971年︵昭和46年︶生まれ〜1974年︵昭和49年︶生まれ︶ (十)ポスト団塊ジュニア世代︵1975年︵昭和50年︶生まれ〜1984年︵昭和59年︶生まれ︶ (11)ミニマムライフ世代︵1982年︵昭和57年︶〜1986年︵昭和61年︶生まれ︶ (12)ゆとり世代︵1987年︵昭和62年︶生まれ〜2003年︵平成15年︶生まれ︶ (13)さとり世代︵1989年︵昭和64年︶生まれ〜1997年︵平成9年︶生まれ︶ など複数の世代で構成されている。 ●平成時代の流行語として、昭和専と呼ばれる昭和生まれ︵主に団塊ジュニア世代の男性から昭和60年代生まれの男性︶の年上の男性を好んでいる平成生まれの若い女性を指す言葉が誕生した。 ●平成末期から令和初期にかけて日本における国会議員は全員昭和生まれであった[注16]。地方議員は京都党の女性議員(1990年2月11日生まれ)など2015年︵平成27年︶の第18回統一地方選挙で平成生まれの地方議員が14人誕生した[94]。 ●日本プロ野球機構では、これに所属する球団の一つである阪神タイガースが糸井嘉男(昭和56年7月31日生まれ)の2022年シーズンをもっての引退により、昭和生まれの選手がプロ野球機構に所属する12球団中で初めて0人のチームとなった。これにより、阪神タイガースでは2023年シーズンからは所属選手全員が1990年代以降の生まれとなり、同年には昭和生まれの現役選手不在チームでは初めての優勝と日本一を達成した球団となった[95]。昭和を冠するもの
編集企業・団体
編集●昭和電力 - 昭和と改元された2日後︵1926年︵昭和元年︶12月27日︶発足。 ●昭和産業 ●昭和電工 - レゾナックホールディングスの旧社名。 ●昭和電線電纜 - SWCCの旧社名。 ●昭和飛行機工業 ●ショーワ ●昭和シェル石油 - 現在の出光興産の前身の一つ。 ●昭和プロダクション - 大阪市を本拠とする芸能事務所。 ●昭和自動車 - 佐賀県唐津市に本社を置く路線バス事業者。 ●昭和リース ●ショウワノート ●昭和信用金庫 ●昭和被服総業 - 岡山市東区西大寺にある老舗アパレルメーカー。 ●昭和食堂 - なつかし処をモチーフとする東海地方を中心に愛知県名古屋市を拠点する居酒屋チェーン。 ●昭和アルミニウム ●新昭和 ●大昭和製紙 - 現在の日本製紙の前身の一つ。 ●昭和無線工業 - SMKの旧社名。教育・学校
編集- 昭和高等学校(公立) - 東京都立と愛知県立がある
- 昭和鉄道高等学校
- 昭和第一高等学校
- 昭和第一学園高等学校
- 昭和大学 - 2005年まで昭和大学医療短期大学を併設
- 昭和音楽大学 - 昭和音楽大学短期大学部を併設
- 昭和女子大学 - 昭和女子大学附属昭和中学校・高等学校、昭和女子大学短期大学部(2014年まで)を併設
- 昭和薬科大学 - 同一学校法人運営で昭和薬科大学附属高等学校・中学校がある
- 昭和学院短期大学 - 同一学校法人運営で昭和学院中学校・高等学校、昭和学院秀英中学校・高等学校がある
- 昭和中学校 - 全国各地にある
- 昭和小学校 - 全国各地にある
- 昭和幼稚園 - 全国各地にある
地名
編集- 昭和基地
- 愛知県名古屋市昭和区
- 北海道函館市昭和、昭和町
- 広島県呉市昭和町
- 山梨県中巨摩郡昭和町
- 秋田県南秋田郡昭和町 - 現在の潟上市
- 山形県新庄市昭和地区
- 徳島県徳島市昭和町
- 福島県大沼郡昭和村
- 群馬県利根郡昭和村
- 栃木県宇都宮市昭和
- 岐阜県高山市昭和町
- 香川県さぬき市昭和
- 福岡県北九州市八幡東区昭和
- 佐賀県武雄市昭和
- 東京都昭島市 - 昭和町と拝島村が合併して成立
- 昭和島(東京都ほか)
- 昭和新山
他にも昭和町という地名は日本全国の至る所に存在している。
交通
編集- 昭和駅(JR東日本鶴見線)
- 昭和停留場
- 現:昭和駅(上記)
- 現:南大町駅(JR東日本大糸線)
- 西鉄北九州線に1992年まで存在した停留場 - 西鉄北九州線#電停一覧を参照。
- 昭和駅(廃止、留萠鉄道)
- 昭和町駅(大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)御堂筋線)
- 昭和町駅(JR四国高徳線)
- 昭和町駅(名古屋臨海鉄道昭和町線の貨物駅) - 以前は近傍に名古屋市電大江線の昭和町停留場が存在
- 土佐昭和駅(JR四国予土線)
- 雄鉄昭和駅(廃止、雄別鉄道)
- 昭和通り(東京都ほか)
- 昭和橋(利根川ほか)
- 昭和大橋 (桑折町)
- 昭和大橋 (新潟市)
公園
編集曲
編集- 昭和おんなブルース(青江三奈のシングル、1970年)
- 昭和枯れすゝき(さくらと一郎のシングル、1974年)
- 昭和ブルース(天知茂のシングル、1974年)
- 昭和北前船(鳥羽一郎のシングル、1987年)
- 昭和舟歌(小林旭のシングル、1988年)
- 昭和(長渕剛のアルバム『昭和』収録、1989年)
- 昭和夢つばめ(石川さゆりのシングル、1996年)
- 昭和残照(杉良太郎のシングル、1999年)
- 昭和最後の秋のこと(森進一・桂銀淑の競作シングル、ともに1999年)
- 昭和レジデンス(クレイジーケンバンドのアルバム『グランツーリズモ』収録、2002年)
- 昭和の階段 Vol.1(工藤静香のアルバム名、2002年)
- 昭和(レミオロメンのシングル「雨上がり」、アルバム『朝顔』収録、2003年)
- 昭和モダン(山崎まさよし、『服部良一 〜生誕100周年記念トリビュート・アルバム〜』収録、2007年)
- 昭和の歌など聴きながら(八代亜紀のシングル、2008年)
- ギリ昭和(キュウソネコカミのアルバム『ギリ平成』収録、2018年)
その他昭和に関する事柄
編集●大正天皇が崩御した際に、東京日日新聞︵現‥毎日新聞︶が﹃新元号は光文﹄をスクープしたが、新元号は﹃昭和﹄と発表され︵結果として︶大誤報となってしまった。一説には﹁光文﹂がスクープされたために急遽﹁昭和﹂に差し替えられたとも言われている︵光文事件︶。しかし、﹁光文﹂は内閣の新元号案に提示されているのみであり、実際に新元号作成中心になっていた宮内省の最終第3案まで残っていたのは﹁昭和﹂﹁神化﹂﹁元化﹂の3案とされる。枢密院議長、倉富勇三郎の日記によれば、その後の調整で1926年︵大正15年︶12月8日時点で﹁昭和﹂を最終候補とし﹁元化﹂﹁同和﹂を参考とする最終案が決定していたことが明らかになっている。﹁光文﹂は、内閣案の一つが選定作業中に漏れたに過ぎず、記者が検証できないまま飛びついたのが実情とされる︵﹃昭和大礼記録﹄、石渡隆之﹃北の丸﹄第7号︵1976年︹昭和51年︺9月︶﹁公的記録上の﹁昭和﹂﹂、﹃倉富勇三郎日記﹄﹁倉富勇三郎関係文書﹂[96]︶。 ●昭和の﹁昭﹂は今でこそポピュラーな漢字だが、当時はまれに人名で使われたりする以外は[注17]、学者や一部の貴族以外は馴染みのない漢字であったという︵元来は﹁照﹂の原字で、意味も﹁照﹂と同じ。︶。そのため、﹁昭和﹂が最終案に選考された際には当時の一木喜徳郎宮内大臣から﹁章和﹂とすべきとの意見が出された。しかし、﹁章和﹂は過去漢と高昌で使用されていた元号であり、結局原案のまま﹁昭和﹂に確定した経緯がある。 ●史上還暦を迎えた元号は日本の昭和と清の康熙だけである。︵昭和は丙寅で﹁還暦﹂している。︶ ●1926年︵大正15年︶12月25日に出生した新生児は、その当日が大正天皇崩御のため役所が休みとなったこともあって、出生届の提出が遅れ、戸籍上の誕生日が異なる︵大部分が翌年︵1927年︶の昭和2年生︶ケースが多発した。植木等、関根潤三らがこうしたケースに当たる。また、メリー喜多川は同じ日に生まれているが、出生地がアメリカであったためこの事例には含まれない[注18]。 ●日本では、嘗て使用した元号は二度と使用しないという慣例がある。昭和も例外ではないが、鎌倉時代に﹁しょうわ﹂と読む同音異字の元号﹁正和﹂を使用した例がある。脚注
編集注釈
編集(一)^ 南北朝時代の北朝の元号を除くか含めるかによる。 (二)^ 昭和天皇は父・大正天皇の病状を受け1921年︵大正10年︶11月25日に﹁摂政宮﹂に就いている。 (三)^ 昭和天皇は1989年︵昭和64年︶1月7日午前6時33分に崩御し、皇太子明仁親王︵現・上皇︶が同時刻に直ちに皇位継承。同日中に元号を改める政令が新天皇の署名によって公布され、同政令の附則の施行期日の定めに基づき、昭和は同日午後12時を以て幕を閉じ、翌1月8日午前0時を以て平成と改元された。 (四)^ 1947年︵昭和22年︶の旧皇室典範の廃止・日本国憲法及び現皇室典範の施行によって、元号に関する条文が削除され、元号は法的根拠を消失した。しかし、その後も慣習として昭和の年号は公私を問わず広く使用され続けた結果、1979年︵昭和54年︶の元号法の制定に至った。 (五)^ ﹁昭和改元の詔﹂の日付は大正15年12月25日であり、同じ日に公布された大喪使官制︵昭和元年勅令第1号︶の日付は昭和元年12月25日となっている。 (六)^ 第1回は1927年︵昭和2年︶5月28日﹁居留民保護﹂の名目で出兵。第一次大戦以来山東省には日本の各種の権益が多く、多くの日本人も居留していた。徐州に迫っていた中国国民党軍︵国民革命軍︶の阻止が主目的で在った。第2回は1928年︵昭和3年︶4月19日に一次出兵と同じ目的で一個師団を投入した。しかし、中国統一や民族運動に譲歩していた英米とは違って、日本は中国の民族運動を抑えるためであった。5月3日には居留民殺傷という理由で済南城を攻撃し占領した。第3回は9日後の1928年︵昭和3年︶5月9日にさらに一個師団を増派し、合わせて15,000の大群で華北を抑えた。︵遠山茂樹・今井清一・藤原彰﹃昭和史﹄[新版] 岩波書店 ︿岩波新書355﹀ 1959年39と44-45ページ︶ (七)^ ビデオの﹃日本の記録の12巻〜映像100年史星条旗の下﹄説明→民主化の内容ではアメリカ合衆国のニューディール政策より大きな政府を目指す革新政策であった (八)^ 政友会217議席,民政党216議席,無産諸派8議席,実業同志会4議席,革新3議席,中立その他18議席 (九)^ 民政党273,政友会174,国民同志会6,無産諸派5 (十)^ 政友会301議席,民政党146議席,無産諸派5議席 (11)^ 民政党205議席,政友会171議席,昭和会22議席,社会大衆党18議席,国民同盟15議席 (12)^ 民政党179,政友会175,社会大衆等37,昭和会19,国民同盟11等 (13)^ 当選者、推薦381名,非推薦者85名 (14)^ テレビアニメとしてはそれ以前に﹃もぐらのアバンチュール﹄﹃新しい動画3つのはなし﹄﹃インスタントヒストリー﹄﹃おとぎマンガカレンダー﹄などが放映されている。 (15)^ 元々は昭和天皇の誕生日。戦前・戦中は﹁天長節﹂、戦後は﹁天皇誕生日﹂という名称であったが、昭和天皇崩御を受け﹁みどりの日﹂と改められていた。 (16)^ ただし、平成生まれの国政選挙立候補者は2名存在した。 (17)^ 室町幕府第15代将軍足利義昭が一例で、その偏諱を貰って名前に﹁昭﹂の字を用いた大名も各地に存在した。他には徳川斉昭、盛田昭夫も。 (18)^ 時差の都合で日付の差異が絡むため。出典
編集(一)^ ﹁明治﹂は11度目の正直=選から漏れた元号案、最多は40回、時事ドットコム、2019年2月2日15時19分。 (二)^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰﹃昭和史﹄[新版] 岩波書店︿岩波新書355﹀1959年32ページ (三)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久20頁〜21頁 (四)^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰﹃昭和史﹄[新版] 岩波書店 ︿岩波新書355﹀ 1959年 78-79ページ (五)^ 反対は日本のみ、ほかにシャム︵タイ︶のみが棄権 (六)^ 飛行機、戦車、火砲などの近代装備の大幅な充実 (七)^ 武蔵、大和などの世界最大の戦艦や航空母艦の建艦 (八)^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰﹃昭和史﹄[新版] 岩波書店 ︿岩波新書355﹀ 1959年 135-137ページ (九)^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰﹃昭和史﹄[新版] 岩波書店 ︿岩波新書355﹀ 1959年 136ページ (十)^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰﹃昭和史﹄[新版] 岩波書店 ︿岩波新書355﹀ 1959年 169ページ (11)^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰﹃昭和史﹄[新版] 岩波書店 ︿岩波新書355﹀ 1959年 171ページ (12)^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰﹃昭和史﹄[新版] 岩波書店 ︿岩波新書355﹀ 1959年 172ページ (13)^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰﹃昭和史﹄[新版] 岩波書店 ︿岩波新書355﹀ 1959年 172-174ページ (14)^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰﹃昭和史﹄[新版] 岩波書店 ︿岩波新書355﹀ 1959年 239ページ (15)^ もういちど読む山川日本戦後史18頁 (16)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久94頁 (17)^ “1947年9月19日 ﹁天皇メッセージ﹂伝えられる”. 沖縄県公文書館. 2019年4月23日閲覧。 (18)^ “天皇メッセージ”. 沖縄県公文書館 (1947年9月19日). 2019年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月23日閲覧。 (19)^ “1975年、天皇記者会見一問一答の中身”. 慶應義塾大学. 2024年4月3日閲覧。 “-︵関連質問=ロンドン・タイムス中村浩二記者︶天皇陛下はホワイトハウスで、﹁私が深く悲しみとするあの不幸な戦争﹂というご発言がありましたが、このことは戦争に対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておりますかおうかがいいたします。 天皇 そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます。 ︵中略︶ -︵関連質問=中国放送秋信利彦記者︶陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない、我々はこの犠牲をムダにすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならないと述べられ、以後昭和26年、46年と都合3度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞いの言葉をかけておられましたが、原子爆弾投下の事実を陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか。おうかがいしたいと思います。 天皇 この原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っています。” (20)^ ﹃図説 日本史通覧﹄291頁大型本2015年3月黒田 日出男︵監修︶帝国書院編集部︵編集︶ (21)^ もういちど読む山川日本戦後史26頁 (22)^ ﹃図説 日本史通覧﹄290頁大型本2015年3月黒田 日出男︵監修︶帝国書院編集部︵編集︶ (23)^ もういちど読む山川日本戦後史25頁 (24)^ もういちど読む山川日本戦後史30頁 (25)^ 武田晴人. “現代日本経済史講義 第18回 3-2 戦後改革2経済民主化政策の展開”. 東京大学. 2024年4月2日閲覧。 “3 労働改革 1945年12月に労働組合法が制定されたのを契機に、労働者の権利を擁護するための立法措置とともに、労働組合運動の育成が図られる。” (26)^ もういちど読む山川日本戦後史16頁 (27)^ 朝鮮戦争と日本の関わり―忘れ去られた海上輸送― (PDF) 防衛研究所戦史部石丸安蔵 (28)^ 竹島領有権問題について 自民党領土に関する特別委員会委員長石破茂 2006年︵平成18年︶5月16日 (29)^ もういちど読む山川日本戦後史40頁 (30)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久100頁〜101頁 (31)^ ﹃日本の記録の12巻〜映像100年史 星条旗の下での民主化﹄ (32)^ もういちど読む山川日本戦後史21頁 (33)^ ﹃図説 日本史通覧﹄292頁大型本2015年3月黒田 日出男︵監修︶帝国書院編集部︵編集︶ (34)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久88頁〜89頁 (35)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久102頁〜103頁 (36)^ 改訂新版,世界大百科事典内言及, 精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,改訂新版 世界大百科事典,百科事典マイペディア,山川 日本史小辞典. “レッドパージとは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年4月2日閲覧。 (37)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久120頁〜121頁 (38)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久140頁上段 (39)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久140頁下段 (40)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久136頁 (41)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久140頁 (42)^ もういちど読む山川日本戦後史102頁 (43)^ もういちど読む山川日本戦後史130頁 (44)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久142頁 (45)^ “あのとき!1967年 非核の誓い、国会答弁”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2009年3月7日) 2011年4月3日閲覧。 (46)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久180頁〜181頁 (47)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久146頁〜147頁 (48)^ もういちど読む山川日本戦後史139頁 (49)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久194頁〜195頁 (50)^ もういちど読む山川日本戦後史134頁 (51)^ ﹃もういちど読む山川日本戦後史﹄104頁老川 慶喜︻著︼ (52)^ 耐久財の変容、中央調査社 (53)^ 台所・厨房機器の保有率の推移、中央調査社 (54)^ 民俗学がわかる事典―読む・知る・愉しむ [単行本] 新谷 尚紀 ︵著︶232頁 (55)^ 民俗学がわかる事典―読む・知る・愉しむ [単行本] 新谷 尚紀 ︵著︶233頁 (56)^ ﹃もういちど読む山川日本戦後史﹄121頁老川 慶喜︻著︼ (57)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久148頁〜149頁 (58)^ ab時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久272頁〜273頁 (59)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久154頁〜155頁 (60)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久210頁〜211頁 (61)^ 民俗学がわかる事典―読む・知る・愉しむ [単行本] 新谷 尚紀 ︵著︶218頁 (62)^ ab﹃もういちど読む山川日本戦後史﹄120頁老川 慶喜︻著︼ (63)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久144頁〜145頁 (64)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久220頁〜221頁 (65)^ ﹃もういちど読む山川日本戦後史﹄107頁老川 慶喜︻著︼ (66)^ ﹃もういちど読む山川日本戦後史﹄117頁老川 慶喜︻著︼ (67)^ ab﹃もういちど読む山川日本戦後史﹄119頁老川 慶喜︻著︼ (68)^ ﹃もういちど読む山川日本戦後史﹄118頁老川 慶喜︻著︼ (69)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久212頁〜213頁 (70)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久202頁〜203頁 (71)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久246頁〜247頁 (72)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久168頁〜169頁 (73)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久150頁〜151頁 (74)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久214頁〜215頁 (75)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久254頁〜257頁 (76)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久288頁〜289頁 (77)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久268頁〜269頁 (78)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久290頁〜291頁 (79)^ ﹃もういちど読む山川日本戦後史﹄161頁老川 慶喜︻著︼ (80)^ ﹃もういちど読む山川日本戦後史﹄160頁老川 慶喜︻著︼ (81)^ ﹃もういちど読む山川日本戦後史﹄164頁老川 慶喜︻著︼ (82)^ ﹃もういちど読む山川日本戦後史﹄165頁老川 慶喜︻著︼ (83)^ ﹃もういちど読む山川日本戦後史﹄166頁老川 慶喜︻著︼ (84)^ ﹃もういちど読む山川日本戦後史﹄167頁老川 慶喜︻著︼ (85)^ 時代の流れが図解で分かる。﹃早わかり昭和史﹄古川隆久302頁〜303頁 (86)^ もういちど読む山川日本戦後史42頁 (87)^ もういちど読む山川日本戦後史59頁 (88)^ 今日の歴史︵1月7日︶ 聯合ニュース (89)^ 朝鮮戦争に出動した日本特別掃海隊 (PDF) - 防衛省 (90)^ もういちど読む山川日本戦後史89頁 (91)^ 懐かしの昭和・平成流行事典2001年〜1945年の56頁 (92)^ 懐かしの昭和・平成流行事典2001年〜1945年の52頁 (93)^ ﹃平成トレンド史﹄4頁〜5頁著者原田曜平 (94)^ “存在感増した京都党、平成生まれ市議も誕生 京都市議選”. 京都新聞. (2015年4月13日). オリジナルの2015年4月13日時点におけるアーカイブ。 2020年6月3日閲覧。 (95)^ “︻阪神︼球界最年長監督が12球団唯一の“平成生まれ”集団で成し得た日本一。プロ野球12球団担当記者が見た2023年|FNNプライムオンライン”. FNNプライムオンライン (2023年11月19日). 2024年5月19日閲覧。 (96)^ コラム6元号伝説 - ポスト﹁大正﹂は﹁光文﹂か?、史料にみる日本の近代、国立国会図書館参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
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