今野大力
来歴 編集
宮城県伊具郡丸森町生まれ。幼時に北海道旭川市に移る。小学校卒業後、新聞社給仕を経て、旭川郵便局に勤務。この頃から詩作を始め、1927年に小熊秀雄らと詩誌﹃円筒帽﹄を発刊。その後上京し、﹃婦人戦旗﹄などの編集にたずさわる。1931年日本プロレタリア文化連盟︵コップ︶の結成に参加し、﹃プロレタリア文学﹄などに反戦詩を発表。1932年3月、駒込署に検挙され、その時の拷問がもとで入院。人事不省に陥り、生死の境をさまよう。回復後の1933年、日本共産党に入党。病気に苦しみながら創作を続けるが、1935年結核で死去。多磨霊園の21区2種12側に葬られていたが、無縁墓地として撤去された[1]。