「八ヶ岳」の版間の差分
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これらのほとんどの領域が、[[八ヶ岳中信高原国定公園]]に指定されている。また一帯は、火山地帯のため、多くの[[温泉]]を有している。 火山としての八ヶ岳は歴史時代、確実な[[噴火]]記録は残っていない<ref name="iguchi" />。しかし、古文書にある[[888年]]︵仁和4年︶の災害を、[[天狗岳]]の山体崩壊で発生した大月川岩屑流の発生と関連する火山活動と推定する仮説がある<ref name="iguchi" />。山体崩壊の原因は噴火とも地震とも言われているが、地震、噴火とも今もって全く証拠が見つからず、大きな謎になっている<ref>{{Cite web 八ヶ岳の1200m位までは高原野菜が栽培され、また牧場が広がりその上に広葉樹林、針葉樹林、雑木帯、お花畑、荒々しい岩稜へと続く。<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=八ヶ岳の登山を楽しむ8つの知識|url=https://yamatabitabi.com/archives/97162/|website=山旅旅|accessdate=2020-09-08|language=ja|last=登山ルート・山旅スポット}}</ref>広大な裾野には、東側の[[清里高原]]や[[野辺山高原]]、西側の[[富士見高原]]や[[蓼科高原]]などが広がっており、夏の冷涼な気候を利用して[[レタス]]や[[キャベツ]]などの高原野菜の栽培が行われている。山梨県、長野県にまたがるその裾野は、諏訪盆地、佐久盆地、甲府盆地へと広がっている。<ref name=":0" /> 山麓には[[伏流水]]が湧くため、特に西南側の裾野一帯にかけて[[縄文時代]]の遺跡が濃密に分布する。長野県側では[[井戸尻遺跡]]や[[尖石遺跡]]がある。山梨県側では縄文草創期の[[神取遺跡]]︵[[北杜市]]、旧・[[北巨摩郡]][[明野村]]︶や[[青木遺跡 (北杜市)|青木遺跡]]をはじめ、[[諸磯貝塚|諸磯式期]]の[[天神遺跡]]︵旧・[[大泉村 (山梨県)|大泉村]]︶がある。縄文中期には拠点集落が山麓地域から[[甲府盆地]]へ移るが、八ヶ岳山麓でも[[敷石住居]]群が見られる上ノ原遺跡がある。後晩期には全域的に遺跡数が減少するものの、[[金生遺跡]]︵旧大泉村︶は集落跡と祭祀施設が複合した遺跡で、縄文時代の精神文化が現れた[[配石遺構]]が見られる。 104行目:
|image3=Kitayokodake-Shimagare.JPG
|width3=140
|caption3=北八ヶ岳の[[縞枯れ現象]]<br />(北横岳・標高約2,200 m)
|image4=Campanula chamissonis 17.jpg
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八ヶ岳には﹁[[富士山]]と背比べをして勝利したものの、富士山に蹴り飛ばされて八つの峰になった﹂という[[神話]]がある︵﹁蹴り飛ばされた﹂の部分はその他にも説がある。例えば、背比べの際に用いた筒、すなわち富士山と八ヶ岳との間にかけて水を流し、どちらに流れるかを調べるのに用いた筒を持って富士山が八ヶ岳を叩いたなど︶。また、同神話では[[蓼科山]]は八ヶ岳の妹で、八つの峰になった八ヶ岳を見て泣いて、それが川になり溜まったのが[[諏訪湖]]とされている。 ところで、八ヶ岳の最高峰の[[赤岳 (八ヶ岳山系)|赤岳]]は[[国常立命]]の山だとされる。山麓の長野県[[茅野市]]には赤岳神社里宮が鎮座し、赤岳[[講]]の信仰も根強い。なお、神代の頃、八ヶ岳の名をつける時、峰が七つしかなかった。そこで東方の山を一つもらい、八つの峰にした。この山を[[茂来山]]︵もらいさん︶という<ref>{{Citation |和書 |title=佐久口碑伝説集 南佐久編 |date=1978-11-15 |editor=佐久教育会歴史委員会 |publisher=佐久教育会 |page=323 }}</ref>。 一方、八ヶ岳には神話や、[[修験道]]等に由来する[[祠|石祠]]や[[石碑]]などが多い。このような神話から、かつて八ヶ岳は富士山より高い1つの山であって、噴火で頂上部が[[山体崩壊]]したという風説︵実際、[[第四紀]]火山としての古阿弥陀岳が崩壊し、韮崎岩屑流が発生している︶が太古から現在に至るまで存在しているが、現在は複数の火山の集合体である。 *赤岳頂上の石碑。[[第二次世界大戦]]前は国常立命像があった。
*奥三ツ頭の石宮、[[講中]]碑、[[地蔵]]、[[不動]]碑、舟形碑
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== 遺跡 ==
広大な山麓には[[旧石器時代]]、[[縄文時代]]からの国宝級の[[遺跡]]、[[土器]]、[[土偶]] [[石器]]などが[[発掘]]されている。[[野辺山]]では約1万4千年前の旧石器時代の石器が、[[南佐久郡]][[北相木村]]の[[洞窟]]からは縄文時代早期の人骨や生活用品が、それぞれ発掘されている。 [[茅野市]]の[[茅野市尖石縄文考古館|尖石縄文考古館]]には、この地方で発掘された出土品や、[[国宝]]に指定されている土偶([[縄文のビーナス]])や、仮面土偶({{ill2|仮面の女神|en|Masked Goddess}})などが展示されている。ほかには、[[富士見町]]の[[井戸尻遺跡]]、[[原村]]の[[阿久遺跡]]があり、[[和田峠 (長野県)|和田峠]]の[[黒曜石]]などもよく知られている<ref name=":0" />。 == 主な山小屋 ==
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{{デフォルトソート:やつかたけ}}
[[Category:
[[Category:八ヶ岳の山|*]]
[[Category:長野県の山]]
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