利用者:のりまき/第十四作業室
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日本本土のマラリア
マラリアはメスのハマダラカが吸血時、ヒトにマラリア原虫を媒介することによって発症する感染症であり、結核、AIDSとともに三大感染症のひとつとされている[1]。ヒトが感染するマラリアには三日熱(P. vivax)、四日熱(P. malariae)、熱帯熱(P. falciparum)、卵型(P. ovale)、サル・マラリア(P. knowlesi)の5種類が知られている[1]。かつて日本では広く三日熱マラリアが発生していて、沖縄県の宮古諸島、八重山諸島では三日熱、四日熱、熱帯熱の3種類のマラリアが発生していた[2][3]。
日本では古くからマラリアが発生していたと推測されていて、瘧︵おこり︶、︵わらはやみ︶、︵えやみ︶、︵さむやみ︶などと呼ばれていた。これらの病名は源氏物語、宇治拾遺物語、十六夜日記、そして藤原定家の日記である明月記などに記されている[3]。明治時代にはマラリアは全国的に流行しており、資料不足のため正確な数は明らかではないものの、1903年に全国で約20万人のマラリア患者が発生していたと推定されている[4]。
媒介蚊について
日本本土においてマラリアを媒介していた蚊は、シナハマダラカ︵Anopheles sinensis︶と考えられていた[5]。シナハマダラカは日本各地で生息が確認されているが、水田が主な発生源であると考えられている[6][7]。後述のように戦前から戦後にかけて日本国内の三日熱マラリア患者は急速に減少しており、水田面積が減少していないのにも関わらず、三日熱マラリアが急速に減少した事実の説明が難しいとの意見がある[6]。
そこで日本本土のマラリア媒介蚊としてオオツルハマダラカ︵Anopheles lesteri︶が注目されるようになった[8]。オオツルハマダラカも日本各地に広く分布していると考えられており[9][10]、湿地帯で多く発生している[10]。土地改良が進められて湿地帯が減少したことによりオオツルハマダラカの発生が少なくなり、その結果、三日熱マラリアも減少したのではとの仮説が提唱されている[6]。
マラリア5県
戦前、青森県、群馬県、栃木県、三重県、静岡県、福井県、滋賀県どでマラリア対策が実行された。各地の対策はマラリア患者に塩酸キニーネを無料で投与する無料診療が中心であり、流行が見込まれる場合には塩酸キニーネの予防投与が行われたこともあった。またマラリアを媒介するハマダラカの駆除を目的として発生する水域に石油を撒いたり、人家付近の樹木や雑草の除去を奨励した例もあった[11]。戦前の各地の対策は計画的に遂行されたマラリアの予防策ではなかったものの、主に実行された塩酸キニーネ投与による無料診療は、三日熱マラリアはキニーネがよく効くマラリアであるため効果はあったと考えられている[12]。マラリアは大正時代以降減少していき、大正末期には消滅した地域もあった。全国患者数も1920年ころには約9万、1934年から1938年には約2万と減少傾向が続いた。寄生虫学者の佐々学は、﹁日本のマラリアは大部分がいわばひとりでになくなった﹂と述べている[13]。佐々は日本のマラリアの減少は土地改良による湿地の減少、水田の整備、そして農薬の散布の普及によって、ハマダラカの発生が少なくなったためではないかと分析しており[14]、やはり寄生虫学者の森下薫も、ハマダラカの発生水域の減少がマラリア減少の要因であると考えている[15]。
終戦後のマラリア流行と収束
彦根市のマラリア
戦前期の対策
GHQの勧告とマラリア対策の立案
マラリア制圧作戦
彦根マラリア研究所の設置
普及啓発活動
原虫対策
蚊対策
彦根城の外濠埋め立て問題
マラリア撲滅の達成
脚注
注釈
出典
参考文献
- 飯島渉『マラリアと帝国(増補新装版)』、東京大学出版会、2023、ISBN 978-4-13-020312-8
- 飯島渉『感染症の歴史学』、岩波新書、2024、ISBN 978-4-00-432004-3
- 大鶴正満「日本医事新報」1470『戦後マラリアの流行学的研究 吾等の業績』、日本医事新報社、1952
- 加藤正治「生活と環境」14(3)『滋賀県におけるマラリア撲滅の効果について』、日本環境衛生センター、1969
- 栗原毅「衛生動物」53(補遺2)『日本列島のマラリア媒介蚊(南西諸島を除く)』、日本衛生動物学会、2002
- 小林弘『彦根市のマラリア対策』 、彦根市、1952
- 小林弘「長崎医学会雑誌」30(2)『彦根市に於けるマラリアの疫学的研究』、長崎大学医学部・長崎医学会、1955
- 佐々学『日本の風土病 病魔になやむ僻地の実態』 、法政大学出版会、1959
- 田中誠二「保健の科学」51(7)『戦後占領期の感染症とその対策』、株式会社杏林書院、2009
- 田中誠二、杉田聡、丸井英二「日本衛生学雑誌」64(1)『戦後占領期におけるマラリア流行の2類型』、日本衛生学会、2009
- 田中誠二、杉田聡、丸井英二「日本医史学雑誌」59(3)『マラリア予防教育映画「翼もつ熱病」とその変遷 第二次世界大戦後の彦根市におけるマラリア対策』、日本医史学学会、2009
- 田中誠二、杉田聡、安藤敬子、丸井英二「日本医史学雑誌」55(1)『風土病マラリアはいかに撲滅されたか 第二次大戦後の滋賀県彦根市』、日本医史学会、2009
- 津田良夫『日本産蚊全種検索図鑑』 、北隆館、2019、ISBN 978-4-8326-1006-4
- 森下薫「日本における寄生虫学の研究3」、『日本に於けるマラリアの疫学的研究』、財団法人目黒寄生虫館、1969
- 米島万有子「京都歴史災害研究」12『マラリア防疫を目的とした濠の埋め立てによる歴史的景観の改変 彦根城の遺構「濠」をめぐる行政と地域住民tとの論争に着目して』、立命館大学歴史都市防災研究センター、2011
- 米島万有子、中谷友樹、渡辺護、二瓶直子、津田良夫、小林睦生「地理学評論」88(2)『土地被覆データにもとづく疾病媒介蚊の生息分布域の分析 琵琶湖東沿岸地域を対象に』、古今書院、2015
- 和田義人『環境開発の置き土産 蚊がもたらした疾病と闘争の歴史』 、財団法人日本環境衛生センター、2000、ISBN 4-88893-078-3